伊勢物語(十一段)

伊勢物語(十一段)
  むかし 男 あづまへ行きけるに 友だちどもに
  道よりいひおこせける

忘るなよほどは雲居になりぬとも
  空ゆく月のめぐり逢ふまで


昔 男が東国へ行った時 友人たちに 旅の途中から歌を
詠んでよこした


遠く離れていても空ゆく月がまたもとのところに戻って来る
やうに再び逢へる日まで私を忘れないで下さい

伊勢物語(十段)

伊勢物語(十段)
  むかし 男 武蔵の国までまどひありきけり。さてその国に
  ある女をよばひけり。父はこと人にあはせむといひけるを
  母なむあてなる人に心つけたりける。父はなほびとにて
  母なむ藤原なりける。さてなむあてなる人にと思ひける。
  このむこがねによみておこせたりける。住む所なむ入間の
  郡みよし野の里なりける。

みよし野の田の面の雁もひたぶるに
  君がかたにぞよると鳴くなる


  むこがね返し

わが方によると鳴くなるみよし野の
  たのむの雁をいつか忘れむ


  となむ。人の国にても なほかかることなむやまざりける。

昔 男が武蔵の国まであてもなく旅をして行った。そしてその
国に住むある女に求婚した。女の父親は別の男と結婚させ
やうと言ったが母親は高貴な身分の人にと心がけていた
父親は氏も素性もない普通の身分であり 母親の方は藤原
貴族の出であった。だからこそ高貴な都の人を婿にと思ひ
決めていた母親はこの婿の候補者に娘に代って歌を詠んで
贈った
この一家の住んでいる所は入間の郡の三芳野の里であった


この三芳野の田の面におりて鳴く雁も
ただひたすらに あなたの方に寄りたいと言って鳴いて
ゐるやうです
私の娘もあなたを頼りたひと思っているやうです


婿の候補者の返歌

私を頼りたひと鳴いている たのむの雁をいつ忘れることが
ありませうや
あなたの娘御を忘れることなんてありません


よその国に来ても尚 男のこのやうな風流好みは止まなかった

たのむの雁 = 田の面に降り立っている雁 頼むの掛詞
よると鳴くなる = あなたの所へ寄りたいと夜になると
  泣いています・寄ると夜の掛詞

この歌は 2005/08/13 たのむの雁 にも掲載してあります

伊勢物語(九段)その三

伊勢物語(九段)その三

  なほ行き行きて 武蔵の国と下総の国との中に いとおほき
  なる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりに
  むれゐて思ひやれば 限りなく遠くも来にけるかな とわび
  あへるに 渡守 「はや舟に乗れ。日も暮れぬ」といふに
  乗りて渡らむとするに みな人ものわびしくて 京に思ふ人
  なきにしもあらず。さる折しも 白き鳥の嘴と脚とあかき
  鴫の大きさなる 水のうへに遊びつつ魚をくふ。京には見え
  ぬ鳥なれば みな人見知らず。渡守に問ひければ
  「これなむ都鳥」といふを聞きて

名にし負はばいざこと問はむ都鳥
  わが思ふ人はありやなしやと


  とよめりければ 舟こぞりて泣きにけり。

更に旅を続けて行くと 武蔵と下総との境にたいそう大きな
河がある。それを隅田河といふ。その河のほとりに集り座って
京に思ひをはせると 限りなく遠くまで来てしまったなぁ と
嘆きあっていると渡し守が「早く舟に乗れ 日が暮れてしまふ」
といふので乗って渡らうとするが 皆 何ともいへず淋しく
京に恋しい人がいないわけではない ちょうど そんな折
白い鳥で嘴(くちばし)と脚の赤い鴫(しぎ)ほどの大きさの鳥が
水の上を泳ぎながら魚を獲って食べている。京では見かけない
鳥なので誰も知らない。渡し守に尋ねると「これが都鳥じゃ」
といふのを聞いて


都鳥よ お前は名前の通りに都のことを何でも知っているなら
お前に尋ねやう
私の思ふ人は今 京で無事で元気に暮らしているだらうか


と詠んだので舟中の人は一同感極まって泣いた

武蔵の国 = 埼玉・東京・神奈川にまたがる地域
名にし負はば = 名前のとほりであるなら

伊勢物語(九段)その二

伊勢物語(九段)その二

  行き行きて駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて
  わが入らむとする道はいと暗う細きに つたかえでは
  茂り 物心ぼそく すずろなるめを見ることと思ふに
  修行者あひたり。「かかる道はいかでかいまする」と
  いふを見れば 見し人なりけり。京に その人の御もと
  にとて 文書きてつく

駿河なる宇津の山辺のうつつにも
  夢にも人に逢はぬなりけり


  富士の山を見れば五月のつごもりに雪いと白う降れり

時知らぬ山は富士の嶺いつとてか
  鹿の子まだらに雪の降るらむ


  その山は ここにたとへば 比叡の山を二十ばかり重ね
  あげたらむほどして なりは塩尻のやうになむありける

旅を続けて駿河の国に着いた。宇津の山まで来て これから
自分達が入らうとする道は暗くて細い上に蔦や楓まで茂って
なんとなく心細く とんでもなくひどいめにあふものだと
思っていると修行者に逢った「こんな遠いところにだうして
いらっしゃるのですか」といふのを見ますと かねて都で
見知った人であった。都の恋人のもとに手紙を書いて託した


都を離れて今 駿河の国にある宇津の山辺に差し掛って
いますが その山の名の如く 現実には あなたに逢ふこと
が出来ず せめてもの頼みとしている夢の中でさへ
あなたに逢ふことが出来ません
あなたはもう私のことなど忘れてしまったのでせうね


富士の山を見ると 五月の末だといふのに雪がたいそう白く
降り積っている


時節も心得ない山は富士の嶺だ
一体今をいつだと思って あのやうに
鹿の子まだらに雪が降るのであらうか


その山は京都に例をとるなら比叡の山を二十ほど重ね上げた
であらうほどの高さで 形は塩尻のやうであったよ

いと暗う細き = 山道は細く草木が生茂っているので暗い
すずろなるめを見る = 思ひもよらず ひどい目にあふ
修行者あひたり = 修行者がやって来るのに出会った
かかる道 = このやうに寂しく荒れ果てた山道
いかでかいまする = だうしてこんな所にいらっしゃるのですか
つく = 託す・ことづける
宇津の山べ = 「うつつ」の序詞
つごもり = 月の末の日
時知らぬ = 時節をわきまへない
ここにたとへば = この都の山にたとへれば
  「ここ」 この物語の作者は都にいる
二十 = はたち(年齢のことではない)
なり = 姿・格好・山容
塩尻 = 製塩のため砂を山の形に積み上げたもの

伊勢物語(九段)その一

伊勢物語(九段)その一
  むかし男ありけり。その男 身を要なきものに思ひなし
  て 京にはあらじ 東かたに住むべき国求めに とて行き
  けり。もとより友とする人 ひとりふたりしていきけり
  道知れる人もなくて まどひいきけり。三河の国 八橋
  といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは 水ゆく
  河のくもでなれば 橋を八つわたせるによりてなむ
  八橋といひける。その沢のほとりの木のかげに下り居て
  かれいひ食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく
  咲きたり。それを見て ある人のいはく
  「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゑて 旅の心
  をよめ」といひければ よめる。

唐衣きつつなれにしつましあれば
  はるばるきぬる旅をしぞ思ふ


  とよめりければ 皆人、乾飯のうへに涙落してほとびにけり。

自分を値打ちのないものと思ひ込んだ男が 京の都にはおる
まい 東国の方に安住の地を求めやうと以前からの友人一人
二人と行った。 道を知っている者もいないので迷ひながら
行った。 三河の国の八橋とといふ所にたどり着いた。
そこを八橋と名づけた理由は 水が蜘蛛の足のやうに八方に
流れ分かれているので橋を八つ渡してあったからである。
その沢のほとりの木陰におりて座り乾飯を食べた。
その沢には折しも杜若がとても趣深く咲き誇っていた。
それを見て友人の一人が言ふには「かきつばた といふ五文
字を句の頭に使って 旅の心を歌に詠め」と言ったので男は


  か  唐衣
  き  着つつなれにし
  つ  妻しあれば
  ば  はるばる来ぬる
  た  旅をしぞ思ふ

着慣れた からころも のやうに添ひ慣れた妻は遠く離れた
京の都にいる
私は はるばるとこんな遠い所までだびをして来たんだなぁ


と詠んだので 一同は皆 乾飯の上に涙を落し 乾飯が涙で
ほとびてしまった

要(えう)なきもの = 用のないもの・無用のもの
京にはあらじ = 京には居れない・居るべきではない
とて = といふことで
友 = 下男?かも
三河の国 八橋 = 愛知県・知立市
乾飯 = ほしいひ・かれいひ
から衣 = 唐衣・「から」は美称・着るの枕詞
なれにし = 着慣れた(衣)・親しく慣れた(妻)
つましあれば = 褄と妻の掛詞
はるばる = 遥かと張るの掛詞
ほとびにけり = ほとびる・ふやける

折句といへば「かきつばた」はその代表作
この歌は 2005/09/05 在原業平朝臣 にも掲載してあります

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