涙川の源
2006/10/15 (Sun) 14:17
511
涙川なに水上をたづねけむ
物思ふ時のわが身なりけり
涙川の源はどこだらうと 何を探し歩いたのでせうか
物思ひに悲しんでいる時の私こそ その源でした
自分が泣いていれば涙川の源を探し歩く筈はありません
とすれば この歌はユーモア歌 戯れ歌といふことになる
それにしても大量の涙です
512 読人しらず
種しあれば岩にも松は生ひにけり
恋をし恋ひば逢はざらめやも
種がこぼれたから松は岩にさへ生へたのです
だから辛抱強く恋していれば
あの人に逢へないなんてことはないのだ
種しあれば = 種といふものがあったからこそ
恋をし恋ひば = 強調 逢はざらめやも = 「も」は感動
知る知らぬ
2006/10/13 (Fri) 09:24
右近の馬場のひをりの日 向ひに立てたりける車の
下簾より女の顔のほのかに見えければよむで遣はしける
在原業平朝臣
476
見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは
あやなく今日やながめ暮さむ
返し 読人しらず
477
知る知らぬ何かあやなく分きて言はむ
思ひのみこそしるべなりけれ
右近衛府の馬場で騎射の真手結があった日 馬場の向う
側に止めてあった車の下簾の隙間から見物に来ていた
一人の女性の顔が ちらりと見へたので詠んで贈った歌
私はあなたのお顔を密かに見ないとも言へず見たとも言へ
ないのですが にも拘らず何だか悲しくなり ぼぉっとして
今日一日を物思ひに耽って暮すのではないでせうか
私をご覧になったとか ならないとか 何故そんな無用な
詮議だてをなさいますの?
大切なことは 人は思ひ(真心)によって初めて導かれると
いふことでございますが あなたにはそれがおありでせうか
思ひのみこそ = おもひ→火→燈火→道しるべ
言ひ寄られて
2006/10/09 (Mon) 17:00
伊勢の海に釣りする海人のうけなれや
心ひとつを定めかねつる
私の心は 伊勢の海に釣りをする漁師が
釣り糸につける浮でせうか
あちらこちらに揺れて この心を定めかねています
うけ = 釣り糸につける「浮」
なれや = であるからだらうか
心ひとつ = 自分ひとりの心
伊勢の浜辺の乙女が 何人かの男に言ひ寄られ
心を決めることが出来ないで悩んでいる歌です
中には悩んだ挙句 自らの命を絶つ女もいました
葛飾は市川の 真間の手児奈 もさうだったとか
あちらを選べば こちらはどんなに力を落されるでせう
こちらを選べば そちらはどんなに力を落されるでせう
そちらを選べば あちらはどんなに力を落されるでせう
私さへこの世にいなければ どなたも傷付かずに・・・
このやうにして美人薄命の用語が生まれたのです(私見)
天つ空なる人
2006/10/07 (Sat) 07:56
夕ぐれは雲のはたてにものぞ思ふ
天つ空なる人を恋ふとて
夕暮は格別に雲の果てに向かって物思ひをします
遠い空の彼方にいるも同然のあの人を恋しく思って
天つ空なる人 = 手が届かないほど身分の高い人
そのやうに解釈するのが順当とは思ひますが
現代でも「高嶺の花」と言ふが如く 必ずしも「身分」の
違ひと限定しなくてもいいでせうね
劣等感が強く 自分に自信のない人であれば 男であれ
女であれ 恋する相手は高嶺の花であり天つ空なる人です
素直に「身分」の違ふ人と解釈して詠んでも
それはそれで決して不自然ではありません
そのやうなことを詮索せずに片恋の悲しみに浸りませう
「雲のはたて」を「雲の旗手」と解釈する学者もいます
・・・旗のやうな夕焼け雲がたなびいている・・・
荻原朔太郎といふ詩人ですが この人といひ 斎藤茂吉と
いひ 詩人さんには頑固な人が多いですねぇ
秋の歌
2006/09/21 (Thu) 14:04
京都検定なるものに ちょっと魅せられて首を突っ込み
ましたら「講習会 楽しいんやったら 試験も受けたら?」
などと言はれて半分その気になり 「古歌あれこれ」が
ずるずると 「京あれこれ」に集中してしまひました
正直申しまして少し疲れました
先日 問題集をやって自己採点してみましたら 60点
世の中は秋 今日は久しぶりに古歌に浸りませう
古今集 藤原敏行 秋たつ日よめる
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
立秋の日 秋の訪れを風によって知った喜びの歌です
説明無用の歌のひとつですね
新古今集にも この歌を本歌とした 藤原秀能の歌があります
吹く風の色こそ見えね高砂の
尾の上の松に秋は来にけり



























