花の夕顔
2006/06/05 (Mon) 08:34
さらば その宮仕人ななり したり顔にもの馴れて
言へるかなと めざましかるべき際にやあらむと思せど
さして聞こえかかれる心の憎からず過ぐしがたきぞ
例のこの方には重からぬ御心なめるかし 御畳紙に
いたうあらぬさまに書き変へたまひて
寄りてこそそれかとも見めたそかれに
ほのぼの見つる花の夕顔
ありつる御随身して遣はす
もっと近寄って誰だかはっきり見たらだうでせう
夕暮れ時に仄かにご覧になった夕顔を
(親しく付き合ってみませんか)
源氏は「では贈歌の主はその宮仕へだな? したり顔に
もの馴れて詠みかけてきたものよ」と 相手として不足な
ほど身分の低い者であらうか などと考へたが自分を目指
して歌を贈ってきた心根がいとしく見過ごし難く思はれる
のは例の女のことにかけては慎重でないご性分なのだらう
畳紙にすっかり筆跡を変へてお書きになって
夕顔の花
2006/05/30 (Tue) 10:13
・・・ありつる扇御覧ずればもて馴らしたる移り香
いと染み深うなつかしくて をかしうすさみ書きたり
心あてにそれかとぞ見る白露の
光そへたる夕顔の花
そこはかとなく書き紛らはしたるも
あてはかにゆゑづきたればいと思ひのほかに
をかしうおぼえたまふ
当て推量ながら源氏の君かと存じます
白露の光にひとしほ美しい夕顔の花
光り輝く夕方のお顔は
この歌は凡河内躬恒の歌の調べ 形を写して詠まれている
古今集 巻第五 秋歌下 白菊の花を詠める
百人一首にも出ています 2005/09/19 29番 凡河内躬恒
心あてに折らばや折らむはつ霜の
おきまどはせる白菊の花
忍び忍びに
2006/05/24 (Wed) 07:58
つれなき人も さこそしづむれ いとあさはかにも
あらぬ御気色を ありしながらのわが身ならばと
取り返すものならねど忍びがたければ この御畳紙の
片つ方に
空蝉の羽におく露の木隠れて
忍び忍びに濡るる袖かな
蝉の羽根に置く露が木の間隠れに見へぬやうに
人目に隠れてひっそり涙に濡れる私の袖でござひます
さこそしづむれ = そんなに冷静に構へてはいるものの
いとあさはかにもあらぬ御気色を
= 通り一遍とも思へない源氏のご様子に
ありしながらのわが身ならばと
= 昔のままの身の上であったならと
取り返すものならねど = 昔に返すよしもないことだけれど
うつせみの身
2006/05/18 (Thu) 10:08
御硯急ぎ召して さしはへたる御文にはあらで畳紙に
手習のやうに書きすさびたまふ
うつせみの身をかへてける木のもとに
なほ人がらのなつかしきかな
と書きたまへるを懐に引き入れて持たり かの人も
いかに思ふらむと いとほしけれど かたがた思ほし
かへして御ことづけもなし かの薄衣は小袿の
いとなつかしき人香に染めるを身近くならして
見ゐたまへり
蝉が殻(も)抜けて羽化していったあとに残された殻に
やはりあなたを なつかしみます
人がら = 「人殻」すなはち残された小袿(こうちき)を
「人柄」に掛けている
かの人 = 軒端の萩
御ことづけもなし = 軒端の萩への手紙を小君に
託すこともなさらない
空蝉が脱ぎ残していった薄衣の小袿が
影の主役を演じているやうな印象の残る章です
帚木
2006/05/12 (Fri) 00:04
帚木の心を知らで園原の
道にあやなく惑ひぬるかな
聞こえむかたこそなけれ」とのたまへり
女も さすがに まどろまざりければ
数ならぬふせ屋におふる名の憂さに
あるにもあらず消ゆる帚木
と聞こえたり
近づけば消えるといふ帚木のやうなつれないあなたの
心も知らないで園原への道に空しく迷ってしまひました
しがない貧しい家に生えていることが
情けなうございますので いたたまれずに
消へてしまふ帚木なのでございます
しがない身の上なのでお逢ひするのを避けた・・の意
帚木 = ははきぎ
聞こえむかたこそなけれ = 申し上げやうもございません
ふせ屋 = 貧しい家
巻第十一 恋歌一 坂上是則の歌に
園原や伏屋に生ふる帚木の
ありとは見えて逢はぬ君かな
寝る夜なければ
2006/05/06 (Sat) 10:57
見し夢をあふ夜ありやと嘆くまに
目さへあはでぞ ころも経にける
寝る夜なければ」など 目も及ばぬ御書きざまも
霧りふたがりて心得ぬ宿世うち添へりける身を
思ひ続けて臥したまへり
先夜の夢が現実のものになって再び逢ふ夜があらうかと
悲しんでいるうちに目までも合はないで(眠れもしないで)
何日も経ってしまひました
夢が合ふ = 夢が現実になる・・の意
「合ふ」に「逢ふ」を掛けている
寝る夜なければ = 「拾遺集」(後述)
目も及ばぬ御書きざま = すばらしいお手紙の書きぶり
拾遺集 (源順) には
恋しきを何につけてか慰めむ
夢だに見えず寝る夜なければ
身の憂さを嘆く
2006/04/30 (Sun) 12:18
鶏もしばしば鳴くに心あわたたしくて
つれなきを恨みもはてぬしののめに
とりあへぬまでおどろかすらむ
女 身のありさまを思ふに いとつきなくまばゆき
心地して めでたき御もてなしも何ともおぼえず
常はいとすくすくしく心づきなしと思ひあなづる
伊予のかたの思ひやられて夢にや見ゆらむ
とそら恐ろしくつつまし
身の憂さを嘆くにあかで明くる夜は
とり重ねてぞ音もなかれける
ことと明くなれば障子口まで送りたまふ
うちも外も人騒がしければ引きたてて
別れたまふほど心細く隔つる関と見えたり
あなたの冷たい態度に恨み言も十分言へないうちに
はや夜もしらみ だうして鶏までもせわしく
私を起こすのでせう
わが身の情けなさを嘆くにも嘆き足りないうちに明ける
この夜は鶏の声に重ねて私も声を立てて泣けてくるのです
ささがに
2006/04/24 (Mon) 09:36
・・げにそのにほひさへ はなやかにたち添へるも
術なくて逃げ目をつかひて
ささがにのふるまひしるき夕ぐれに
ひるま過ぐせといふがあやなき
いかなることづけぞや」
と言ひも果てず走り出ではべりぬるに追ひて
逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならば
ひる間もなにかまばゆからまし
さすがに口疾くなどははべりき」と しづしづと申せば
君達あさましと思ひて嘘言とて笑ひたまふ
蜘蛛の動きで分かっている筈のこの夕暮に
ニンニクの匂いがするから昼間は待て と言ふのは
理の通らない話ですねぇ 聞こえませんよ
夜毎に逢っている仲でしたらニンニクの匂いがする昼間
でも だうして恥ずかしいことでありませうか
ささがに = 蜘蛛・蜘蛛の枕詞
ひるま過ぐせと = 「昼」と「蒜(ひる)」を掛けている
蒜はニンニクのこと



























