89番 式子内親王
2005/11/30 (Wed) 11:43
忍ぶることの弱りもぞする
わが命よ 絶えてしまうなら絶えてしまいなさい
かうして生き長らえていると堪え忍ぶ心が弱くなって
人に知られてしまふでせうから
玉の緒 = ここでは「魂の緒」の意で「命」のこと
ながらへば = 生き長らえば 忍ぶること = 堪え忍ぶこと
後白河天皇の第二皇女
定家との恋は真実か伝説か
この歌は新古今集に「百首歌の中に忍恋を」の詞書が
あるので この歌も題詠歌ですが それにしても
「命よ絶えなば絶えね」って凄いですね
現代人は恋のために こんなこと言へるでせうか
同母姉弟(2)
2005/11/29 (Tue) 08:32
京に上りし時に作りませる御歌二首
2-0163
神風の伊勢の国にもあらましを
何しか来けむ君もあらなくに
2-0164
見まく欲りわがする君もあらなくに
何しか来けむ馬疲るるに
2-0164 逢ひたいと思ふ弟はもういないのに
だうして来たんだらう 馬が疲れるだけなのに
大津皇子 賜死後の歌です
二度までも「何しか来けむ」と詠う
私は一体 何しにきたんだらう
弟はもう死んでしまったのに
大伯皇女は 同母姉弟 2005/11/23 では「大伯」と
表記されていますが ここでは「大来」と表記されています
大津皇子の生前と死後が何か関係しているのでせうか
88番 皇嘉門院別当
2005/11/28 (Mon) 07:38
みをつくしてや恋ひわたるべき
難波の入り江に生えている蘆の刈り根のように短い時間を
あなたと仮寝して一夜を過ごしましたね
私はこれから身を尽くしてあなたを恋ひ続けるのでせうか
難波江の蘆の = かりねに掛かる序詞
かりね = 刈り根と仮寝を掛けている
ひとよ = 一夜と一節を掛けている
みをつくして = 澪標と身を尽くしを掛けている
千載集の詞書に
「摂政右大臣の時の家の歌合に
旅宿逢恋といへる心をよめる」 とある
旅先の一夜の契で 再び逢ふことも難しい恋について
悲しい女心を詠ったもの
この歌 百人一首の中で既に出てきたやうな気が・・
そうなんです
以下の何れの歌にも共通したところがあるのですね
19番 伊勢 難波潟みじかき葦のふしの間も
20番 元良親王 難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ
85番 俊恵法師
2005/11/25 (Fri) 00:12
閨のひまさへつれなかりけり
薄情なあなたを恨んで終夜物思ひに沈んでいると
なかなか夜が明けず 閨の板戸の隙間さへ白んでこない
あなただけでなく閨の隙間まで私に辛く当たるのですねぇ
夜もすがら = 終夜・一晩中
明けやらで = 明け切らず 閨のひま = 寝室の戸の隙間
74番 源俊頼の子
この歌も題詠の歌で 女性の立場で詠っている
待っている相手の男性が来ない夜は早く明けて欲しいのに
閨のひまはいつまでも暗いまま 薄情者ぉ
辛い女の気持を上手く詠ってますねぇ
お坊さんのくせに
84番 藤原清輔朝臣
2005/11/24 (Thu) 11:35
憂しと見し世ぞ今は恋しき
昔 辛かった時代も今思ひ起こせば懐かしい
それと同じやうに もしこの先 生き長らへていくなら
きっとこの今の辛い時代を懐かしく思ふに違いない
ながらへば = 生き長らへておれば
しのばれむ = 慕はしく思ひ出されるであらう
藤原清輔は79番 顕輔の子
過去と現在 現在と未来といふ対立を表現した歌
私はこの歌が大好きです
百人一首といふと すぐに思ひ浮かべるのが この歌です
この歌を知らない人でも こんな経験はあるでせう
私はこの歌から何故か戦後の空腹の時代を思ひ出します
同母姉弟
2005/11/23 (Wed) 10:41
大伯皇女の作りませる御歌二首
2-0105
我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて
暁露に吾立ち濡れし
2-0106
二人行けど行き過ぎ難き秋山を
いかにか君が独り越ゆらむ
2-0106 二人で一緒に越えやうとしても越え難い秋山を
弟は只一人で どのやうにして越えやうとしているのでせうか
大伯皇女は大津皇子の同母姉
歌の内容からお分かりのやうにこの時はまだ
大津皇子は存命中でした
この二首を見るだけでも大伯皇女が弟のことを
如何に心配していたか よく分かります
父・天武天皇の崩後 謀反の咎で捕へられて賜死
この続きは次回の万葉集で
83番 皇太后宮大夫俊成
2005/11/22 (Tue) 10:45
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
辛い世の中から遁れやうと一人山深く入ってはみたが
山の奥でもやはり辛いことがあるのか
鹿が悲しく鳴いている
どこへ行かうと世の中の憂さや辛さから
遁れる道はないのだなぁ
道 = ここでは辛い世から遁れる「方法」
思ひ入る = 一途に思ひ込む・山に入るを掛けている
藤原俊成は定家の父
千載集の詞書には
「述懐百首の歌よみ侍りける時 鹿の歌とてよめる」 とある
貴族俊成に本当の世の中の辛さが分かっていたのでせうか
現代人が考える世の中の辛さとは異なっていたのでは・・
私はさう考へます
82番 道因法師
2005/11/21 (Mon) 11:19
憂きにたへぬは涙なりけり
あなたがつれないから私は思ひ苦しんでいます
辛さに堪えて命だけは永らへているのですが
堪え切れないのは涙 涙 涙
思ひわび = 思ひ極まり嘆くこと さても = それでも
憂きにたへぬは = 辛さに堪え切れないのは
藤原敦頼。 片想ひの歌 それも知識だけで詠んだ歌
百人一首に「涙」は この歌と 86番 西行法師のたった二首
恋などしてはいけないお坊さんが 恋の思ひ叶わず流す涙
何だか絵になりませんねぇ
86番も題詠の歌 両方ともお遊びの歌です
81番 後徳大寺左大臣
2005/11/20 (Sun) 08:02
ただありあけの月ぞ残れる
あ ほととぎすが鳴いたなぁ と
その鳴き声の方を見ると ほととぎすの姿はすでになく
ただ明け方の月だけが残っていた
藤原実定。俊成の妹の子・定家の従兄弟
百人一首では一枚札 「ほ」
ほととぎすは万葉集でも詠はれています
私が知っている歌は 額田王の
2-0112
古に恋ふらむ鳥は霍公鳥
けだしや鳴きしわが念へる如
鳴かぬなら鳴かしてみやう ほととぎす
鳴いて血をはく ほととぎす
有明の月が鳴いたか ほととぎす
以上 ほととぎす 色々でした
80番 待賢門院堀河
2005/11/19 (Sat) 08:33
乱れてけさは物をこそ思へ
末永く心変りしないと言いひ交しましたが
あなたの心のほどはまだよくは分かりません
起きて別れた今朝は私の髪が乱れているやうに
私の心もいろいろと思ひ乱れています
長からむ = 長く愛し続けていく積もりだといふ男側の心
しらず = 期待できない 当てに出来ない
黒髪 = 乱れる の枕詞でもある こそ思へ = 係り結び
待賢門院堀河は崇徳院 (77番) の生母 待賢門院に仕へて
堀河と呼ばれた
千載集の詞書に「百首の歌 奉りける時 恋の心を詠める」
とありますので これも題詠の歌 そして後朝の別れの歌です
79番 左京大夫顕輔
2005/11/18 (Fri) 21:21
もれ出づる月の影のさやけさ
秋風が吹いて たなびいている雲の切れ目から
もれ出でてくる月の光は明るく澄み切って
なんて美しいのだらう
たなびく = 横に長く引いている 絶え間 = 切れ間
月の影 = 月の姿・月の光
さやけさ = 明るく澄み切っている様子
藤原顕輔は84番 藤原清輔の父。
百人一首には月を詠った歌が多いが この歌は素晴らしい
中でも私はこの歌の第四句の字余りが好きです
月の影のさやけさ・・現代でもこれは味わへますよ
でも今は少し時期的に遅くて 寒空になってしまひましたが
石川女郎(3)
2005/11/17 (Thu) 10:43
大伴宿禰宿奈麻呂に贈れる歌一首
2-0129
古りにし嫗にしてやかくばかり
恋に沈まむ手童のごと
もう物の分かった老女だと思っていましたのに
これほど恋しさに心も沈むのでせうか
まるで幼女のやうに
20-4491
大き海の水底深く思ひつつ
裳引きならしし菅原の里
右の一首は藤原宿奈麿朝臣が妻 石川女郎の
愛薄らぎ離別せらへ悲しび恨みて作れる歌なり
年月未詳
以上 石川女郎に関連した歌は 相聞歌と引用 2005/09/21
石川女郎 2005/11/05 石川女郎(2) 2005/11/11
と今回の掲載で終りますが 何かお気づきになりましたか?
そうなんです 相聞歌と引用でご紹介した石川郎女だけは
石川女郎ではなく石川郎女と表記されています
「郎女」「女郎」 だうしてなんでせうねぇ
77番 崇徳院
2005/11/15 (Tue) 10:35
われても末にあはむとぞ思ふ
川の瀬の流れが速いので岩に堰止められた急流が
二つに分かれてもまた一つとなって流れるやうに
今の私は他人に妨げられてあなたと別れなければならないが
いつかきっとまた一緒になれると信じています
瀬をはやみ = 流れが速いので せかるる = 堰止められる
われても = 水の流れが割れる・自分達の仲が割れる
第七十五代天皇。保元の乱のあと讃岐に配流された
この歌の上三句は序詞ですが内容が下の句と
とてもよく融合しています
この歌も一枚札ですよ 「せ」
上田秋成の雨月物語「白峯」は崇徳院の配所生活を
脚色したものです
崇徳院の霊の詠として (西行)
松山の浪にながれてこし船の
やがてむなしくなりにけるかな
76番 法性寺入道前関白太政大臣
2005/11/14 (Mon) 12:37
雲居にまがふ沖つ白波
大海原に舟出してみると広々とした彼方には
大空にわいた雲と見まがふばかりに
沖の白波が立ちつづいている
わたの原 = 海 久方の = ここでは「空」にかかる枕詞
雲居 = 雲の居るところ即ち空・ここでは単に「雲」の意
沖つ = 沖の (天つ風の類)
藤原忠通 摂政関白藤原忠実の子
法性寺入道前関白太政大臣は百人一首の中で一番長い名前
詞花集の詞書に
「新院位におはしましし時 海上遠望といふことを
詠ませ給ひけるに詠める」ととして載っています
新院とは77番 崇徳院のこと
題詠であるとは言へ大空に湧き立つ白雲と沖の白波を
見間違へるとは これまた大袈裟な
でも法性寺入道はそんな海の景色を心に描いたのでせうね
75番 藤原基俊
2005/11/13 (Sun) 10:27
あはれ今年の秋も去ぬめり
あなたがお約束下さったはかない言葉を頼みに
お待ち申し上げておりましたのにその甲斐もなく
今年の秋も空しく過ぎ去らうとしています
契りおきし = 約束しておいた 「おきし」は露の縁語
させもが露 = さしも草に宿った露 命にて = 頼みとして
去ぬめり = 去ってしまったやうだ
この歌は女性の恋歌みたいに詠むことが出来ます
でも実は親が子を思った歌なんです
基俊が自分の息子を維摩会の講師にと76番 藤原忠通に
頼んだところ「私がこの世にいる限り失望せずに
任せておけ」 と約束されたがこの年もその約束は
果たされなかった
忠通はかつて基俊に「しめぢが原」と答へていたのです
その意は清水観音の歌とされる
なほ頼めしめぢが原のさせも草
わが世の中にあらむ限りは
この歌の第一句は「ただ頼め」の説もあります。
74番 源俊頼朝臣
2005/11/12 (Sat) 00:10
はげしかれとは祈らぬものを
私につれなく振舞ふあなたの心が私になびくやう
初瀬の観音様にお祈りしておいたのに
あなたは以前より冷たく初瀬の山おろしみたいに
激しく当たるやうになりました
そんな風になるやうに祈ってはいないのに
憂かりける人 = 自分につれらく冷淡に当たる人
初瀬 = 奈良県桜井市初瀬の長谷寺
山おろし = 山から吹き降ろす激しい風
山おろし = 定家自筆では第三句は「山おろしよ」
源俊頼は71番 大納言経信の子
千載集のこの歌の詞書に
「権中納言俊忠の家に恋十首の歌詠み侍りける時
祈りて逢はざる恋といへる心を」 とあります
これも歌合での歌なんですね
「人を初瀬の」は何の掛詞でせうか
この表現はだう見ても掛詞としか見へないのですが
石川女郎(2)
2005/11/11 (Fri) 10:10
その事を占へ露はすに皇子のつくりませる御歌一首
未だ詳らかならず
2-0109
大船の津守が占に告らむとは
まさしに知りて我が二人寝し
大船の泊まる津守が占に現はすだらうことを
まさしく知りながら私は二人で寝た
日並皇子尊の石川女郎に贈り賜へる御歌一首
女郎は字を大名児といへり
2-0110
大名児を彼方野辺に苅る草の
束のあひだもわれ忘れめや
大名児が遠くの野辺で苅る草の ほんの束の間も
私は忘れるなどといふことがあらうか
日並皇子尊 = 草壁皇子 彼方(おちかた) 草(かや)
大津皇子と草壁皇子は異母兄弟で殆ど同時代を生きています
石川女郎から草壁皇子に宛てた歌は見当たりませんが
大津皇子との贈答歌は相聞歌と引用 2005/09/21 に掲載
大津皇子とその同母姉 大伯皇女の歌については別の機会に
73番 前権中納言匡房
2005/11/10 (Thu) 10:30
外山の霞 立たずもあらなむ
高砂の山の頂に桜の花が美しく咲いたなぁ
手前の低い山に霞などかからないでもらひたいものだ
尾の上 = 山の頂
外山 = 山の外側の低い部分・深山の反意語
立たずもあらなむ = 立ち込めないでもらいたひ
後拾遺集のこの歌の詞書には
「内のおほいまうち君の家に人々酒たうべて歌よみ侍りけるに
遥かに山の桜を望むといふ心をよめる」 とある
縁語・掛詞もなく素直に山頂の桜に対する気持を
詠んだ歌として評価はかなり高い歌ですが
私には何となく平凡すぎるやうに感じられます
72番 祐子内親王家紀伊
2005/11/09 (Wed) 08:59
かけじや袖の濡れもこそすれ
かねてから浮気者であると評判の高いあなたに
思ひをかけたりはしませんよ
末はきっと捨てられて悲しい涙に袖を濡らすやうな
つらい目を見るでせうからね
音に聞く = 評判に聞いている 音は波の縁語
高師の浜 = 評判が高い・・の掛詞
あだ波 = 絶えず動いている波・あだ男(薄情な男)
かけじや = かけまいよ
音に対して高師といふ掛詞 浜に対して波 かけじ 濡れる等の
縁語を用いるな等 この当時の歌風の必要な要素をことごとく
備へて 実に鮮やかなものです
この歌は金葉集恋の部に「堀川院の御時 艶書合によめる」
として載っています。
艶書合は懸想文合せともいひ 男の歌人が各々恋歌を作って
これを女官たちに配ると女官もまた返歌を作って送る一種の
遊戯です。
紀伊にあてられた歌は藤原定家の祖父である中納言俊忠の
人知れぬ思ひありその浦風に
波のよるこそいはまほしけれ
71番 大納言経信
2005/11/08 (Tue) 10:22
蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
夕方になると門前の田に美しく実っている稲の葉を
そよそよと吹き動かして 葦葺きの小屋に秋風が吹いている
夕されば = 夕方になると 門田 = 門前の田
おとづれて = 訪れたのは作者ではなく「秋風」
まろ屋 = 粗木で出来た粗末な家
源経信 74番 源俊頼朝臣の父。
先月あたり私の家の近くでもこんな風景が見られました
「春風」は朝のイメージ 「夏の風」と「秋風」なら夕暮れ
「木枯」は昼下がりのイメージでせうか
春夏秋冬を問はず「風」は絵になりますねぇ
70番 良選法師
2005/11/07 (Mon) 10:54
いづこも同じ秋の夕暮れ
あまりもの寂しさに家を出てしみじみと辺りを眺めてみると
やはり秋の夕暮れはいづこも物悲しいもんだ
宿 = 良選法師が住んでいる家・現代語の宿の意ではない
秋の歌の秀れたものとして有名な 所謂 三夕の歌を
ご紹介しませう
藤原定家
見わたせば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮
西行法師
心なき身にもあはれは知られけり
鴫たつ沢の秋の夕暮
寂蓮法師
寂しさはその色としもなかりけり
槙立つ山の秋の夕暮
良選法師の歌も決してこれらに劣るものではありません
この歌も百人一首の一枚札ですね 「さ」
69番 能因法師
2005/11/06 (Sun) 08:24
竜田の川の錦なりけり
嵐が吹くと三室山の紅葉は吹き散らされて
竜田川の流れに浮び まるで錦の布を繰り広げたように
流れていく
この歌は実景を詠んだものではなく歌合で詠んだもの
地理的に三室の山のもみぢ葉が竜田川へ届きはしない
もし地理的な不整合がなく しかも もしこの歌が実景を
詠んだものであったとしたなら
この歌は良い歌なのでせうか
近代・現代詩人の古歌・近代歌に対する評価は ともすれば
実景を詠んだものであれば高く評価、さうでないものは
低く評価されるきらいがないでもない
私にはだうもそこのところが合点できないのです
実景であれ想像であれ良いものは良いで良いではないか
が私の考えなんですけどねぇ
但しこの歌が良いかだうか それは別のことです
石川女郎
2005/11/05 (Sat) 09:38
2-0128 吾聞之 耳尓好似 葦若末乃 足痛吾勢 勤多扶倍思
わが聞きし耳によく似る葦のうれの
足痛くわが背勤めたぶべし
本当に噂どほりでしたわ
葦の芽のやうになよなよと
足を引きずっていらっしゃったあなた
ご養生なさって下さいね
みやびを 2005/08/12(Fri)の続編です
右は中郎の足の疾に依りてこの歌を贈りて問訊へり
石川女郎が「吾を帰せりおその風流士」 と田主を笑ったが
田主に「帰せし吾そ風流士にはある」 と返されて
憤懣やる方なしの石川女郎は更に上の歌を贈ったのですが
田主からは無視されたやうです
万葉集には石川女郎が何人も出てきますが同一人物ではない
67番 周防内侍
2005/11/03 (Thu) 10:55
かひなく立たむ名こそ惜しけれ
春の夜の儚く短い夢の間ほどの
それも あなたの戯れの肘枕のために
その甲斐のない浮名を立てられるのはご免ですよ
かひなく = 腕(かひな)の掛詞
かひな = 手枕の縁語
千載集のこの歌の詞書に
きさらぎばかり月のあかき夜 二条院にて人々あまた
居あかして物語などし侍りけるに 内侍周防 より臥して
枕もがな と忍びやかにいふを聞きて大納言忠家
之を枕にとて かひなを御簾の下より差し入れて
侍りければよみ侍りける
二月の頃 月の明るい夜 二条院で大勢が徹夜して物語など
した折 周防内侍が横になって 枕が欲しいなぁ と
ひそかに言ふのを忠家が聞いて この腕を枕にしなさいよ
と言って簾の下から差入れた際に詠んだ
場に即した素敵な即興の歌ですね
66番 前大僧正行尊
2005/11/02 (Wed) 00:09
花より外にしる人もなし
この山奥に咲いている山桜よ
わたしがお前を懐かしんでいるように
どうかお前も私を懐かしんでおくれ
こんな山奥ではお前より外に
私の心を知ってくれる者はいないのだから
もろともに = 一緒に・共々に
あはれ = ここでは 懐かしいの意
僧侶となって山奥に入ってもやはり人恋しく
山桜に声かけている。
人は誰しも孤独には耐えられないものなのでせうね






























