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踊り

「京都」から端的に何を連想しますか?
私は何故か
「舞妓」でした 舞妓 → 踊り

京都には舞妓さんや芸妓さんがいる地域・花街が五つあり

京都五花街と言ひそれぞれに歌舞練場があります

鴨川をどり 尾上流 先斗町 歌舞練場
都をどり  井上流 祇園甲部 歌舞練場
京おどり  若柳流 宮川町 歌舞練場
北野をどり 花柳流 上七軒 歌舞練場
祇園をどり 藤間流 祇園東 歌舞練場

京おどり だけが「をどり」でなく「おどり」です

踊りは舞妓さんや芸妓さんだけではありません
六波羅密寺には「かくれ念仏」と呼ばれる念仏踊りが
あります
 (空也踊躍念仏)

念仏踊りから連想するのが
「出雲の阿国」
歌舞伎踊りの祖とされる出雲の阿国が北野天満宮境内
踊った念仏踊りが「かぶき踊り」のルーツであるとか
四条河原で踊ったのが歌舞伎の原形であるとか

四条大橋東詰北側に「出雲の阿国像」があり
南座の西側に「阿国歌舞伎発祥地」の石碑もあります

私は昨年 有吉佐和子著「出雲の阿国」を読みましたが
悲惨な最期だったことだけが記憶に残っています
踊ることが好きで好きで生甲斐だった女性

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新京極

新京極は京都随一の繁華街です
秀吉による京都改造の一環として出来た寺町
その寺町通の一路東に 明治5年 京都府参事槇村正直に
よって作られた出来た一大娯楽街は寺町通の古名 東京極
大路にちなんで
「新京極」 と名付けられました

平安京概略図によれば平安宮の中央から南に朱雀大路
西の果ての通りが西京極大路 東の果てが東京極大路と
なっており東京極大路は現在の寺町通あたりのやうです

秀吉が築いた
「御土居」 は河原町通と鴨川の間あたり
にあったのでせうか

新京極通は三条通から四条通まで通りですが この辺り
秀吉が集結させた寺の町「寺町」だけあって寺が多い
三条通・四条通・寺町通・河原町通で囲まれた中にある
寺の数は二十を越えるでせう


四条通から新京極に入り大勢の人で賑わう狭い通りを
蛸薬師通をちょっと西に入るとすぐに寺町通に出ます
そして何だかホッとした気持になります
それほど新京極は賑やかなのです

寺町通に入らずに蛸薬師通を通り越し そのまま上ると
右側に
「誓願寺」 といふお寺があります
五十五世住職が書いた「醒酔笑」は落語の原典
門前に「迷子みちしるべ」の石柱があり 芸ごと上達の
扇塚などで有名です

縁日は毎月

弘法さん と 天神さん
京都では毎月大きな縁日が二つ催されます
弘法さんと天神さんです


東寺
 正しくは教王護国寺 世界文化遺産
日本一高い五重塔の外 金堂 仏像など国宝がズラリ
平安遷都の時に羅城門の東西に「東寺」「西寺」として
建てられ 後に嵯峨天皇が弘法大師(空海)に下賜されました
西寺は現在 廃寺となっています
東寺は「都七福神まいり」の一つでもあります(毘沙門天)

21日は弘法大師の命日にあたり毎月縁日が催されます
この縁日のことを京都では「弘法さん」と呼んでいます
骨董品・陶器・古着の外 色んな露店が立ち並びます


北野天満宮
 通称 天神さん
学問の神様 菅原道真公 が祀られています
当然のことながら京都市内の梅の名所の一つでもあり
その季節になると 梅見の見物客で賑ひます

25日は菅原道真の命日にあたり毎月縁日が催されます
この縁日のことを京都では「天神さん」と呼んで親しみ
その日 境内周辺に植木・骨董・古着などの露店が立ち並び
合格祈願の受験生など参拝客で賑ひます


京都では「弘法さん」が雨なら「天神さん」は晴れ
などと言はれ映画のロケーションの日程にも使はれるとか
今月のお天気 京都は
06.21 (水) 晴 「弘法さん」
06.25 (日) 雨 「天神さん」
「弘法さん 勝たはったぁ」 となるのです

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小野小町

世界三大美女は「クレオパトラ」「楊貴妃」「ヘレン」
などと言ほうものなら苦情が出るやも知れません
「ヘレン」など知るもんか 小野小町 だろ? って
でも 日本で絶世の美女は? と問はれれば誰しも
「小野小町」 と答へるでせう

京都では隨心院と補陀洛寺が小野小町ゆかりの寺です


隨心院
小野門跡ともいひ 化粧井戸や深草少将の文塚があります
深草少将の百夜通 百日目の夜 深草少将は雪の中で凍死
一説には九十九日目の夜とも


補陀洛寺 (ふだらくじ) 通称 「小町寺」 です
小町姿見の井戸・小町供養塔・深草少将供養塔などがある


小野小町には数多くの伝説があります
髑髏小町 卒塔婆小町 そして伝説ではありませんが
後姿 小町針 そしてまた小さな町に美女が居れば
その町の名○○を付けて ○○小町

上記の「ヘレン」は映画化された「トロイのヘレン」の
ヘレンです 「パリスの審判」でアフロディーテはパリス
に美女を与へる約束をしたのですが まさかそれが人妻だ
ったとは ちょっと無責任ですね 女神のくせに
それにしてもヘレン役のロッサナ・ポテスタは綺麗でした
運良く少し前にTVで放映されていたので録画保存してあります
映画館でこれを見たのは1956年でした

二条城

まわりを十米~二十二米幅の掘でぐりと囲まれた二条城
世界遺産 (文化遺産) として登録されており 二の丸御殿
は国宝です

徳川家康の居館として建てられたもの
二代将軍 秀忠の娘(和子)が後水尾天皇の女御(東福門院)
となり東福門院を間に 徳川家と天皇家の交流の場と
なったのがこの二条城です そして奇しくも十五代将軍
徳川慶喜が大政奉還を行ったのも この二条城でした


春の夜ライトアップされた幻想的な二条城の夜桜は
一見の価値あり 恋人と一緒に京の夜の想ひ出に

恋人と一緒なら すぐ近くに若者向きのバラエティ豊かな
京都のスポット BiVi二条があります
地下鉄東西線 二条城前駅から1区間 二条駅のすぐ前
若いお二人でしたら歩くのもいいでせう

実は私 先日娘とここで映画「ダ・ヴィンチ・コード」を
観てきました  ○○ラーメンも美味でした


「美味」という言葉が出てきたからには「鱧」(はも)
京都 → 祇園祭 → 鱧 といふ位 京都ならではの
鱧料理
特に梅雨の後の鱧が最高とされています
祇園祭の七月には 京都の鱧の価格も最高値になります
祇園祭は「鱧祭」と言はれるほど 京都人にとって鱧料理
は祇園祭のご馳走なのです

白い花が咲いたやうな鱧落し 是非ご賞味を
二条城周辺にも鱧料理の出るお店はあちこちにあります

黄白の水引

先月 「京のならはし」 に関する講義の時のことです
講師がやおらカバンから中くらいの茶封筒を取り出し
その中から徐に何かを取り出して机上に置いてから
「これが前回お話しました
御所で使はれている紅白の
水引
です」 と言って先程の何やらを高く上げて見せた

私は最前列で講師の真ん前に陣取っていましたので
それが黒白の水引であることはすぐに分かりました
ザワザワ ボソボソと私語が聞へてきます

それでも講師は高く上げたその黒白の水引を見ながら
「見えますかぁ? 紅白の水引です」
「後ろの方 見えなかったら どうぞ前まで」

何人かが何事かと前へ出てきました
先生 きっと言ひ間違へはったんや そして それに気づ
いたらへんのや
さう思ったのは私だけではなかったでせう

講師は ザワザワ ボソボソには全くそ知らぬ顔で
コップの水を少し手にこぼすと
「よく見て下さいね」 と黒い水引を指先で擦りました
すると 濡れた指先が真っ赤になったのです

京都では仏事に黒白の水引は使ひません
必ず
黄白の水引 を使ひます
京の人にとって御所は生活の上でも密着しており
この紅白の水引と間違い易い黒白を避けました
御所さんに申し訳ないからです

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十三参り

京都には 法輪寺 といふお寺が二つあります

上京区にある法輪寺の通称は
達磨寺

このお寺には約八千体の達磨が祀られており 現住職さん
も達磨禅画の達人です
そしてもう一つの特徴は 石原裕次郎・美空ひばりを始め
日本映画界の多くの故人の位牌が祀られていることです


西京区にある法輪寺の通称は
虚空蔵さん

「十三参り」と「針供養」で有名です
「十三参り」は数え年十三歳になった子供が厄難を払い
大人の智恵を授けて頂くためにお参りします
 (三月十三日 ~ 五月十三日)

お参りの後 渡月橋を渡り切るまで振返ってはなりません
もし振返ると授かった智恵がなくなってしまふと言ひ伝え
られています
私が聞いたところでは
「十三にもなったら約束事を守れんやうではあかん」


法輪寺といふお寺は 奈良斑鳩もありますし
業平寺として有名な奈良佐保路の不退寺も
正式名称は 金龍山 不退転法輪寺
全国に法輪寺の名の付くお寺は幾つあるのでせうね

平安京

右が左 左が右

京都全体が見渡せる地図を広げて見ますと「右京区」が
地図の左側(西)に 「左京区」が右上側(北東)にあります
このことを初めて知った時は本当に驚きました


平安京の概略図などを見ますと更にはっきりと
朱雀大路(現在の千本通辺り)を中心に西側が「右京」
東側が「左京」と記載されています
ちなみに朱雀大路の道幅は八十五米もあったさうです

平安宮(大内裏)で南向きに座られた天皇から見て
左が「左京」 右が「右京」であることが由縁であること
を聞かされて納得

両京は「東京(ひがしのきょう)」「西京(にしのきょう)」
とも呼ばれ更には中国の都になぞらへて東京を「洛陽城」
西京を「長安城」とも称していました

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京都の祭

京都には 京都三大祭 と 京都三大奇祭 があります

三大祭は
「葵祭」 「祇園祭」 「時代祭」
三大奇祭は 「やすらい祭り」 「鞍馬の火祭」 「牛祭」

「葵祭」(賀茂祭) 上賀茂神社・下鴨神社の例祭 5月15日
「祇園祭」(祇園御霊会) 八坂神社の祭礼 7月(17日)
「時代祭」 平安神宮 10月22日 平安遷都を記念した祭

「やすらい祭り」 今宮神社 4月の第2日曜日
「鞍馬の火祭」 由岐神社の例祭 10月22日
「牛祭」 広隆寺 10月10日 (現在は中止)

お祭りの好きな京都人にとって 10月22日は忙しい
「時代祭」も見たいし 夜は炎が夜空を焦がす「鞍馬の
火祭」に間に合ふやう急がなければなりません


名物「やき餅」(正しくは葵餅) 上賀茂神社
名物「稚児餅」 八坂神社 7月後半のみ
名物「行者餅」 八坂神社 7月16日のみ販売

名物「あぶり餅」 今宮神社の門前名物
名物「みたらし団子」 下鴨神社


三大祭については何れ改めてお話したひと思ひます

京言葉

「優しい女性」といふイメージ

私の義姉は生粋の京育ちでした
下立売通か上立売通かは忘れましたが何度か生家へ伺っ
たこともあり京都特有の鰻の寝床のやうな町屋だったこ
と そして堀河通のバス停を上って東へ入った記憶が
残っています

義姉の思ひ出といへば言葉からくる優しさでした
「語尾」が大阪とは違っていたからでせうか
特に「~よし」と「~え」が印象的でした


早よ行きよし → 早く行きなさい
早よ寝よし → 早く寝なさい
あんじょうしよし → うまくしなさい
黙ってへんで言ひよし → 黙ってないで言ひなさい

さき行くえ? → 先に行くわよ (いいの?)
かんにんえ → ごめんなさい
嫌はれるえ? → 嫌はれるわよ (いいの?)
おばさん笑ぉたはるえ → おばさんが笑ぉたはるよ


京の若い女性に町言葉で話しかけられたら もうそれだけ
で男性はメロメロになってしまふでせう
兄もその一人だったのかも知れません

京料理

湯葉料理

京都の人は吝嗇で京都の料理は不味い
と言ったのは滝沢馬琴だとか
それでも麩・湯葉・芋・水菜・うどんは褒めています

私は齢60を過ぎるまで湯葉が美味しいとは一度も思っ
たことがありませんでした ところが何年か前 丸山公園
での夜桜見物の帰りに 息子が木屋町通団栗橋近くの割烹
のお店に連れて行ってくれました
その時 息子の勧めで戴いた湯葉料理

えっ? これが? 湯葉?
それ以前に戴いた湯葉は きっと料理法や味付けが拙か
ったに違いありません 私が値切ったのかも
私はその日 「湯葉は美味い」 といふことを初めて知った
のです  目から鱗でした


にらみ鯛

正月料理で三ケ日の間 箸をつけてならないといふ京都
特有の習慣を持つ「にらみ鯛」
三日間も食べないで睨んでいるだけ?

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大根焚き

京都で大根焚き(だいこだき)といへば
千本釈迦堂 と 鳴滝(なるたき)の大根焚寺

12月7・8日には千本釈迦堂で 9・10日には大根焚寺で
参拝者に大根焚きが振る舞はれます
中風除けのご利益あり


大報恩寺 (千本釈迦堂)

京都市街地 最古の木造建築 本堂は国宝

  ちなみに現存する京都府最古の木造建築は
  醍醐寺の五重塔 国宝にて世界文化遺産に登録

阿亀塚 (おかめ塚) も有名
誤って柱を短く切ってしまって悩む夫に助言し そのお陰
で無事 寺は建立された しかし棟梁である夫の名誉を
守る為に阿亀は自害して果てたとの逸話がある


了徳寺 (鳴滝の大根焚寺)

ここの大根焚きの由来は 親鸞聖人がこの地を訪れた際
村人が塩味の大根煮を差上げてもてなした
これに感動された親鸞聖人は庭のススキの穂で
「帰命尽十万無碍光如来」と十字名号を書かれた
現在も薄名号 (すすきのみょうごう) として所蔵

京言葉の裏表

京言葉の裏表と起源

京のことば・会話には裏があり言葉通りに受取ると恥を
かくと よく言はれますが 私が聞いたところによれば
京言葉の起源は相手に対する「労はり」「思ひ遣り」から
からきているものださうです

◆ 物を貸す時の「返さんでもええよ」
    意味 → 早よ返せ
    起源 → 返すことに気ぃ使はんとゆっくり使へ

◆「ぶぶづけでも どうどす?」
    意味 → 早よ帰れ
    起源 → うちは貧乏やけどお茶漬け程度やったら

◆「考へておきますわ」
    意味 → 考へない 「ノー」の意
    起源 → すぐに駄目だと言へば相手の落胆が大

◆「あら? どちらまで?」「ちょっとそこまで」
    意味 → これは会話といふより挨拶なんです
    ついで「気ぃつけて」となります


「一見はんお断り」の元の意味も
「あなたのことを分かりません 好きも嫌いも知りませ
 ん 失礼 粗相があっては申し訳ないのでお断りします」

労はり・思ひ遣りの気持を理解せずに言葉通りに受取っ
てしまひますと その不理解が恥につながるのです

それに「郷に入っては郷に従へ」と言ふじゃありませんか

幕末・維新

幕末から明治へ

「186」は自分の電話番号を相手に伝へる時に使用し
ます このこととは全く関係のないことなのですが
京都の1860年代は京都にとっても日本にとっても
大きなターニングポイントになった時代でした

1862 寺田屋事件 (舟宿) 薩摩藩の内輪もめ
    お龍の機転で坂本龍馬 難を逃れる
    皇女和宮の降嫁

1864 蛤御門の変 (禁門の変)
    尊王攘夷派の長州藩が 幕府側の薩摩藩・会津藩
    ・桑名藩と戦った事件で長州藩が敗れた
    池田屋事件 (旅館) 新選組が襲撃

1867 大政奉還 徳川慶喜は朝廷に政権を返還
    坂本龍馬 近江屋 (醤油屋) にて暗殺される

1868 1月 鳥羽・伏見の戦いが発端となり戊辰戦争
    へと突入
    閏4月 長谷信篤 初代京都府知事
    8月 明治天皇即位 (慶応4年)

1869 東京遷都に反対し京都市民の「お千度廻り」

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「お祝ひ」 と 「おため」

「お祝ひ」

京都では結婚・出産などのお祝いは大安を中心に先勝や
友引の午前中に持参するものと相場が決っています

かうすることで受取り側も午後は安心して買い物に
出かけることも出来ますし 訪問する側も煩はしい事前
の連絡なしでお祝ひを持参することが出来るのです
ご互いが日程を暗黙の内に了解しているわけですから

余程親しい間柄でない限りお祝ひの受渡しは玄関先で
済ませます
お祝ひは風呂敷に包み掛袱紗を掛け塗の広蓋(ひろぶた)
に載せて手渡します 
家紋の入った風呂敷・掛袱紗・広蓋は格式高いですね

また受取り側は家の中へ入って頂く訪問客に対して
別に準備するものがあります
お饅頭・昆布茶・干菓子などですがお饅頭は日持ちしない
為その日の分だけを用意します
必ずしも偉い人だから中へ入れるといふことはありません


「おため」

頂いたお祝いに対してその場でお返しするのが「おため」
(「おうつり」とも言ひます)

お祝ひ金の一割を一帖(二十枚)の半紙と共に持参された
広蓋(或は切手盆など祝儀盆)に載せて返します
この時 掛袱紗は裏返して (絵柄の方を上にする)
「おため」の上に掛け直しておきます

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正月の皇服茶

六 波羅蜜 寺  真言宗

六波羅蜜寺と表記せずに敢へて「六 波羅蜜 寺」と表記
しました 六波羅探題など「六波羅」といふ地名が有名
になってしまひ「六波羅 蜜寺」と誤読されないやうに

斯く言ふ私も実は「六波羅 蜜寺」だと思っていた一人

踊り念仏で知られる空也上人により開創されたお寺です
西国三十三ケ所第十七番の札所でもあり
都七福神参りの一つ (弁財天)

本尊は空也上人作の「十一面観世音菩薩」で国宝
「空也上人立像」「平清盛坐像」など 重文も多い

このお寺は お正月 参拝者にふるまふ皇服茶(おうぶくちゃ)
八月の萬灯会 十二月の空也踊躍(ゆやく)念仏(かくれ念仏)
で京都の人々に親しまれています


皇服茶は 京に疫病が流行った時 空也上人が薬湯を病人
に飲ませて病気を平癒したという故事に因んだものです

村上天皇もこれを服したことから皇服茶
の名が付いたと言はれています
私見になりますが 幸福・大福とも読めますね

京都ではお正月に若水でお茶を点て これに結び昆布と
小梅を入れ一年の無病息災を祈って飲む縁起物です

団子と柿

みたらし団子

下鴨神社・糺の森(ただすのもり)の御手洗池(みたらし池)
の底から湧いてくる泡を形取って作られたといふ
「みたらし団子」は竹串の先に一つ

そして少し間を置いて
四つ並んでいるのが特徴で下鴨神社の神饌菓子です

下鴨神社・御手洗祭は七月土用の丑の日に境内御手洗社
で行はれ「足つけ神事」とも呼ばれています
参拝者は御手洗池の中に足を浸して無病息災を祈るのです

後醍醐天皇が糺の森の御手洗池の水すくったところ最初に
一つの泡が浮き 続いて四つ泡が浮き上った
それが「みたらし団子」の由来であるとか 人間の体を形
どっているといふ説もあります


下鴨神社 正しくは賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ)


古老柿 (ころう柿・ころ柿)

鏡餅の上にのせる縁起物で串に刺した干し柿
串の左右両端に二つづつ

そして少し間を置いて
内側に六つ 一つの串に十の干し柿が並んだものです
「外はにこにこ内睦まじく」といふ

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京あれこれ (5)

清涼寺

山号は五台山 嵯峨釈迦堂とも呼ばれている 源融の墓所
源融の山荘・棲霞観(せいかかん)の所在地で融の没後
ここに阿弥陀堂を建て棲霞寺としたのが始まり
「融通念仏の道場」としても知られている

然 (ちょうねん)が中国より持ち帰った釈迦如来立像が
本尊 (国宝) この本尊からは胎内より経文・文書・絹製
の五臓六腑等が発見され これを模倣した釈迦像が全国
各地に残されている (清涼寺式といふ)

有名な行事としては三月の「嵯峨お松明」
四月の「嵯峨大念仏狂言」 これは融通念仏を広める為
円覚上人が始めたといはれる無言狂言


如来と菩薩

「如来」は狭義の仏様で既に悟を開いた人のこと
「菩薩」は悟りを開くため修行中の人


京都三大念仏狂言

嵯峨大念仏狂言・清凉寺 無言狂言
壬生大念仏狂言・壬生寺 無言狂言
ゑんま堂大念仏狂言・千本閻魔堂 台詞付き狂言

京あれこれ (4)

五山の送り火

8月16日の夜 京都の山に「妙法」「船形」「大文字」
「鳥居形」の送り火が見られる
京都の夏の盂蘭盆会の行事です


京都人は之を決して「大文字焼き」とは言はないさうです
大文字焼きといふ言葉は信長の比叡山焼き討ちを連想させ
京都外の人がうっかり「大文字焼き」と言ほふものなら
「知らない」とか「それ焼き饅頭どすか?」などと
言はれることもあるさうな

それだけ京都の歴史ある行事を大事にしている
といふことです


前(さき)の戦争

京都では先祖以来如何に長く京都に住んでいるかが
生粋の京都人であるかの証明になり自慢にもなると
聞いたことがあります
しかしうっかり自慢しようものなら
「前の戦争からかい?」と聞かれるらしい

太平洋戦争ではありません 応仁の乱のことなんですって
人世むなしい応仁の乱 (1467)


長く住んでいることだけでなく 何処に住んでいたか
・いるか も重要なことのやうです
京都中心部の極狭い範囲だけが自慢の対象地らしい

京あれこれ (3)

京の町の通り名

四条河原町交差点の何軒が北側にある場所を言ふには
「河原町四条上がる」と言ひます
「四条河原町上がる」とは言ひません
四条(東西の通り)に対して上がる(北へ行く)からです

四条河原町交差点の何軒が西側にある場所を言ふには
「河原町四条西入る」とは言はず
「四条河原町西入る」と言ひます
言はれてみれば ごもっともなことで

「丸太町通」から「五条通」までの通り名の歌は
若い頃から何故だか知っていました 最近になって
漸く「十条通」まで覚え ついで南北の通りについても
「河原町通」から「千本通」まで暗記出来ました
通り名の歌で憶えた為 通り名のフルネームは知りません


丸竹夷二押御池
姉三六角蛸錦
四綾仏高松万五条
雪駄ちゃらちゃら魚ん棚
六条三哲通り過ぎ
七条越えれば八九条
十条東寺で止めさす


寺御幸麩屋富柳堺
高間東車屋町
烏両替室衣
新町釜座西小川
油醒井堀川の水
葭屋猪黒大宮へ
松日暮に智恵光院
浄福千本果ては西陣

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京あれこれ (2)

地神相応之地 (地相)

泣くよ坊さん平安京 鳴くよ鶯平安京といへば794年
桓武天皇による長岡京から平安京への遷都
即ち 平安時代の始まりです

桓武天皇は事前に京の地相を調べさせました
京の地は長岡京から東北(鬼門)だったからです
東西南北を守る神 青龍・白虎・朱雀・玄武 それぞれの
神について調べなければなりません

東には大きな川がなければならない
西には大きな道がなければならない
南には大きな池(湖)がなければならない
北には大きな岩(山)がなければならない

東の青龍は大川 (鴨川) 西の白虎は大道 (山陰道)
南の朱雀は大池 (巨椋池) 北の玄武は山・大岩 (船岡山)
風水は吉と出たわけです。
巨椋池は昭和16年に干拓地となり現在はありません


青龍は「龍」で色は青  白虎は「虎」で色は白
朱雀は「鳳凰」で色は赤  玄武は?
「亀」で色は黒なんです
相撲の土俵上でも青房・白房・赤房そして黒房

京あれこれ

六月に入ると京の人達はぼちぼちそわそわして来ます
まもなく祇園祭だから
祇園祭は七月一日の吉符入(きっぷいり)に始まり
七月三十一日の夏越祓(なごしはらい)に終ります
クライマックスは十七日の山鉾巡行 ♪コンチキチン♪

私は京都人ではありませんが京都の町並みや自然そして
神社・寺院 風土が好きで 今でも頻繁に出かけています

一昨年から京都商工会議所が主催する京都観光・文化
検定試験が始まりこれに関連した色んな講習会も開催
されています  (略して「京都検定」とも)

今日から 「京」 について触れていきたいと思ひます
和泉式部寺(誠心院) 小町寺(補陀洛寺 ふだらくじ)
なりひら寺(十輪寺) 業平の塩竃(しおかま)跡(十輪寺)
決して「古歌」と無縁ではありませんよ


伏見稲荷大社 (重文)

明十日は伏見稲荷大社の田植祭
神田に早苗を植えて五穀豊穣を祈願します
伏見稲荷大社は全国にある稲荷神社の総本宮です

貴人好みのお茶屋も重文に指定されている
このお茶屋は後水尾上皇から拝領したもの
後水尾上皇といへば修学院離宮 いずれ又詳しく

源の至

伊勢物語 (三十九段)

昔 西院の帝と申し上げる天皇がおいでになった
その帝の皇女に崇子と申しあげる方がいらっしゃった
その皇女がお亡くなりになってご葬送の夜 その御殿の
隣に住んでいた男が ご葬送を見やうとして女車に女と
同乗して出かけた 随分お待ちしたが なかなかお柩を
お出しならない 悲しみの涙を流すだけで帰ってしまほ
うとするうちに 天下の色好み 源至といふ人が これも
ご葬送を拝みにきた時であったが この車を女車だと見て
そばに寄ってきて 何かと色めかしいそぶりをする
やがて その至は蛍を持ってきて女の車に入れたので
車の男は この蛍のともす火に車中の女の顔が見られる
かも知れぬ この灯を消さうとして女の気持で歌を詠んだ

  むかし西院の帝と申すみかどおはしましけり
  そのみかどの皇女 たかい子と申すいまそがりけり
  そのみこうせたまひて御はぶりの夜その宮の隣なり
  ける男 御はぶり見むとて女車にあひ乗りて出でた
  りけり いと久しう率ていでたてまつらず うち泣
  きてやみぬべかりける間に天の下の色好み 源の至と
  いふ人これももの見るに この車を女車と見て寄り来
  てとかくなまめく間に かの至 蛍をとりて女の車に
  入れたりけるを 車なりける人 この蛍のともす火に
  や見ゆらむ ともし消ちなむずるとて乗れる男の
  よめる

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恋といふ

伊勢物語 (三十八段)

昔 紀有常の所へ男が行ったところ有常が外出して
いて遅く帰って来たので 歌を詠んでやった

  むかし紀の有常がりいきたるに歩きて遅く来けるに
  よみてやりける


君により思ならひぬ世の中の
  人はこれをや恋といふらむ

  返し
ならはねば世の人ごとになにをかも
  恋とはいふと問ひしわれしも


あなたのお陰で体験することが出来ました
世間の人はこのやうな感情を恋と呼ぶのでせう


私は経験がないので何を恋と呼ぶのか尋ねてきたが
その私の方こそあなたのお陰で今わかりました
それなのに私に教はっただなんて
恋にかけては あなたには敵ひませんよ


思ならひぬ = ここでは 経験して理解するの意

有常の娘は業平の妻です
紀有常のところへ行った男とは業平でせう
両方とも戯れの歌です

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歌の復籍 上巻・下巻
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くわしい解説 小倉百人一首
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プロフィール

ちゃむ

  • Author:ちゃむ
  • 1940.01 生まれ 男性
    この写真は但馬皇女の歌
    人言を繁み言痛み己が世に
      未だ渡らぬ朝川渡る

    をイメージしたものです

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