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泉涌寺

本尊は釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三尊
泉涌寺 (せんにゅうじ) は皇室との関わりが深く「御寺」
とも呼ばれ 寺の名の通り 今でも泉が湧き続けています

楊貴妃観音堂に安置されている聖観音像は 玄宗皇帝が
楊貴妃を偲び その顔に似せて香木に彫らせたものと伝へ
られ この像は楊貴妃観音と通称されています

山内の塔頭に七福神が祀られており 成人の日の
「泉山七福神めぐり」として有名です


夜をこめて鳥のそらねははかるとも
  よに逢坂の関はゆるさじ


泉涌寺の境内には清少納言の歌碑が建てられています
一条天皇の中宮定子に仕えて恩寵を蒙り「枕草子」を執筆
清少納言は晩年をこの泉涌寺辺りで過ごしたと言われている
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走井餅

石清水八幡宮 嘗ては男山八幡宮とも言はれていました
伊勢神宮に次ぐ宗廟として朝廷に崇敬され「弓矢の神」
「戦勝の神」として武家信仰の対象にもなり源氏の氏神
として全国に八幡信仰が広まりました

石清水八幡宮の門前にある茶店風のお店があります

走井餅 (はしりいもち) の老舗
もともとは大津名物の茶店でしたが明治の末に八幡に
支店を出して以来 八幡名物に

走井餅は餃子の形に似た「刀形」です  その由来は
大津・走井の名水で名剣を鍛えたことに因んでいるとか
そして その走井の名水を使って作った餅なので
走井餅と名づけられました


虫八幡
とも呼ばれる 三宅八幡宮は「子供の守り神」
「疳の虫封じの神」として信仰を集めています
また三宅八幡宮では「鳩」が神の使ひとされており
鳩を形どった名物菓子
(鳩餅) が境内の茶屋で売ら
れています

宇治の橋姫

橋姫神社 祭神は瀬織津姫
瀬織津姫は橋姫と呼ばれた宇治川の守護神ですが
一方で橋姫は縁切りの神様ともされています

それは昔 都に嫉妬深い女房がいた
そんな女房に愛想をつかした夫は外に女を囲った
これを知った女房は丑の刻参りの末 鬼に化身して
夫と女を殺したいふ  この女房が橋姫

この鬼は源頼光とその家来・四天王によって成敗されやう
としたが宇治川の守護神になると約束した為に赦された
といふ一説もある


あじろ木にいさよふ浪の音ふけて
  獨や祢ぬる宇治の橋姫


新古今集には宇治の橋姫を詠んだ歌が幾首か出ています
最初 古今集で詠はれました

あじろ木? 宇治の? どこかで見たことがありますねぇ
百人一首 64番 権中納言定頼
さうです 「あさぼらけ」の おてつき要注意札でした

花簪

舞妓さんの髪を飾り季節を彩る花簪
舞妓さんは毎月その季節に合はせて花簪を変へます

祗園の金竹堂(きんたけどう)さんは手作り花簪の老舗

一月 松竹梅 (正月は稲穂)
二月 梅
三月 菜の花
四月 桜
五月 藤
六月 柳
七月 団扇 (祇園祭)
八月 薄
九月 桔梗
十月 菊
十一月 紅葉
十二月 南座 顔見世歌舞伎興行のまねき


南座で十一月三十日から十二月二十六日まで行はれる興行
が「顔見世」です

「まねき」は歌舞伎役者の名前を書いた看板
勘亭流といふ独特の肉太の書体で 隙間の無いやうに書
かれているのが特徴  客席に空席(隙間)の無いやうに

「まねき」の上部は屋根の形にも見へますが 実は「入」
の文字の形  大入の縁起を担いでいるのです

蜘蛛塚

上品蓮台寺 嘗て境内に十二の子院を持つ大寺院で
あったことから
「十二坊」 の名で親しまれています
現在は三院が残っている

国宝の絵巻物「絵因果経(えいんがきょう)」を有し 境内
には仏師定朝の墓があり 春には枝垂れ桜が美しい寺です

源頼光とその家来 渡辺綱(四天王の一人)にまつはる伝説
の一つ「土蜘蛛」に関連する史跡が この寺にもあります
「源頼光朝臣塚」としるされた石碑で「蜘蛛塚」とも呼
ばれています


頼光が原因不明の熱病にうなされている時 枕元に現れた
怪しげな法師を 頼光は銘刀「膝丸」で斬ったが 法師は
消へ失せてしまふ
そこで渡辺綱をはじめとする家来の四天王に命じて探索
させた 渡辺綱らは血痕を追跡し北野の杜で大きな塚を
掘り返したところ三尺余もある大蜘蛛を発見 これを串刺
にして賀茂の河原に晒すと頼光の熱病は快癒した

「土蜘蛛」 「一条戻り橋の鬼」 「大江山酒天童子」
蜘蛛退治に鬼退治 主役はいつも渡辺綱
謡曲や能の世界でも演じられるこれらの伝説
千年も前の京の都 鬼がいても不思議ではありません

当時の鬼たちは或る意味では可愛げがあった 時には女や
老婆に化けることはあっても事あれば ちゃんと鬼の姿に
なりましたからね
現代の鬼は一見「紳士」であったり「母親」だったり・・

わら天神

わら天神 の正しい名称は「敷地神社」
祭神は「木華咲耶姫尊」

安産の神様として有名で「藁の護符」が授けられ
その藁に節があれば男の子 なければ女の子が
生まれるといふ  これが「わら天神」の名前の由来

場所は 金閣寺 から南へ二百米ちょっと
金閣舎利殿からの距離ではありません
地図上の道路へ出てからの距離です


平等院の近くにあり「暗闇の奇祭」で有名な 県神社
祭神も「木花開耶姫命」


木華咲耶姫尊 木花開耶姫命
どちらも「このはなさくやひめのみこと」
古事記に出てくる木花之佐久夜毘賣 何れも同じ人
といふか 同じ女神です

大山祇神 (おおやまつみのかみ) には娘が二人
姉は醜女の石長比賣 (いわながひめ)
妹 木花之佐久夜毘賣は飛び切りの美女  大山祇神は
天孫降臨 邇邇芸命 (ににぎのみこと) にこの姉妹を
娶らせやうとしたが邇邇芸命は石長比賣を返してしまふ
・・・天孫降臨と雖も単なる面食い神だったとは

百人一首には載っていないけれど
歌留多会で最初に詠はれる歌


なにはづにさくやこの花ふゆごもり
  いまははるべとさくやこのはな

産寧坂

産寧坂 は清水寺の子安の塔に向かう安産祈願の坂道で
あることから産寧坂と名付けられたと言はれています
産寧坂は三年坂とも呼ばれ
「三年坂で転ぶと三年で死ぬ」
「二年坂で転ぶと二年で死ぬ」といふ言ひ伝へもあります

円山公園から高台寺・八坂五重塔・二年坂を経て産寧坂
に至る道沿ひには古い町屋や寺が並び石段や石畳などが
京都のゆかしさを醸し出しています
この界隈は
「産寧坂重要伝統的建造物群保存地区」

国(文化庁)で指定されているのですが お役所はだうして
このやうに長い名前を付けるのでせうね
京都市には他に祇園新橋・嵯峨鳥居本・上賀茂 の三地区
「重要伝統的建造物群保存地区」があります


産寧坂を上り切った所が清水坂と五条坂が交る場所で
京漬物 佃煮の老舗 土井志ば漬 のお店の前を通って
どんどん坂道を登って行くと
清水寺 に着きます

清水寺 山号は音羽山 本尊は十一面千手観音
世界遺産 (文化遺産)に登録されており
本堂(国宝)は「清水の舞台」で知られる建物です

征夷大将軍 坂上田村麻呂が開基 延鎮と協力して建てた
坂上田村麻呂は嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり
「清水寺」を世号としました (810)

誠心院

誠心院 は「和泉式部寺」という通称で呼ばれています
藤原道長が一条天皇の中宮藤原彰子に請はれて和泉式部
のために東北院の中に小御堂を建て与へたのがこの寺の
始りと伝へられる
和泉式部の墓といふ銘の石造りの塔があります

場所は新京極通六角下ルですから高島屋の前の新京極通
の入り口から真っ直ぐ上って行くと右側にあります

和泉式部 はとにかく恋多き女性として有名で
夫の浮気に悩み 貴船神社 を参詣した時の歌が


物思へば沢の蛍も我身より
  あくがれ出づる魂かとぞみる


その和泉式部の娘が 小式部内侍
百人一首の中で最も痛快な歌です


大江山いく野の道の遠ければ
  まだふみも見ず天の橋立


二十八歳くらいで他界しました
母 和泉式部の悲嘆は如何ばかりかと同情に絶えません

御手洗祭

今日 七月二十三日は土用の丑の日 鰻を食べる日です
ややこしい理屈は抜きに 今日は鰻を食べて暑い夏を乗切
りませう

下鴨神社ではこの日
御手洗祭 といふ神事が催されます
境内の井上社(通称 御手洗社)の例祭
御手洗池に足を浸し身を清める神事で別名「足つけ神事」
とも言はれています

御手洗は「みたらい」「みてあらい」とも読みますが
下鴨神社関連では間違いなく総て「みたらし」です
御手洗祭 御手洗池 御手洗団子など


御手洗の文字から連想できるのは「手水鉢」(蹲 つくばい)
枯山水庭園で有名な
龍安寺 には水戸光圀が寄進したと
される手水鉢があります

上から見ると昔の一文銭のやうな形をしており
中央の水を溜める正方形の穴を「口」の字に見立てます
周囲には 上に「五」 右に「隹」 下に「止」そして
左に「矢」の文字が彫られています

中央の「口」とこの各四つの文字を組合はせると
吾唯足知 (吾 ただ 足るを知る) と読むことが出来ます
水戸光圀が寄進したとされる本物は非公開で
私達が見ることの出来るのはレプリカです

「吾唯足知」は禅の教へださうですが 本当に素晴らしい
教へだと心底さう思ひます

金閣寺

正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ) 相国寺の山外塔頭
足利義満(室町幕府 三代将軍) が建てた北山殿に始まる
鹿苑寺は世界遺産(古都京都の文化財)に登録されており
通称
金閣寺 は金閣舎利殿

庭園は池泉回遊式で国の特別史跡・特別名勝
庭園には茶室・夕佳亭(せっかてい)があります
金閣を映す池は鏡湖池(きょうこち)
池の中に「九山八海石」など数々の名石あり
現在の金閣は昭和三十年の再建
昭和六十二年に金箔を張替へました


金閣寺から連想するのは 頓知小僧の一休さん
将軍 義満を始め蜷川新右衛門さん 意地悪な商人・桔梗屋
さよちゃんたちを思ひ浮かべます

一休さん京都の生まれで後小松天皇のご落胤とされて
いますが 一説では足利義満の子ではないかとも
幼名は千菊丸 一休は道号 宗純は戒名


門松は冥土の旅の一里塚
  めでたくもあり めでたくもなし


さう言ひながらお正月に髑髏を杖の上に載せて歩いたとか
飲む・買う・喰う(肉) など 戒律や形式にとらはれず人間
臭く生きられたお方です

晩年を過ごされた寺が京田辺市にある
「酬恩庵」
通称は一休寺 名物は私の大好きな一休寺納豆
粘り気のない乾燥した塩味が特徴の黒っぽい納豆です

桂離宮

離宮といふは 皇居とは別に設けられた宮殿のこと
「桂離宮」「修学院離宮」と並ぶ江戸初期の代表的な
山荘で西京区桂にあります
その広さはなんと約二十三万坪

東京ドームは一万四千坪 東京ディスニーランド(テーマ
パーク)が十五万坪余 修学院離宮が十六万坪余です
ちなみに私の家の敷地は・・・


「桂離宮」は八条宮初代智仁親王と二代智忠親王の父子
により約五十年かけて造られました
智仁親王とは陽光太上天皇の第六王子で豊臣秀吉の猶子と
なった人ですが 秀吉に実子鶴丸が生れ八条宮を創設

兄の後陽成天皇は智仁親王に皇位を譲ろうとしたが
徳川家康に反対され皇位は甥の後水尾天皇が継ぐことに
なりました


後水尾天皇といへば「修学院離宮」を造った人です
そして京都御所も東福門院の入内前に大規模な拡張
工事がなされています

後陽成天皇の皇子・後水尾天皇 そして同天皇の弟父子・
智仁親王と智忠親王が築いた「修学院離宮」「桂離宮」
徳川家からの援助があったにせよ 影にはどのやうな犠牲
隠れているのでせうか

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哲学の道

京都の好きな若人なら一度は歩いたことのある道
それは南禅寺から銀閣寺までを結ぶ
「哲学の道」
若王子橋から北へ 銀閣寺橋までの疎水沿ひの清閑な小径

私も若い頃に歩きました
忘れられない想い出は「八ツ橋」といふお菓子です
「哲学の道」を歩いていた時 とあるお店の前に
壊れた「八ツ橋」が破格の値段で並んでいました
ニッキの味と香りが好きな私はそれを買って食べ歩きな
がら銀閣寺へ向った想い出が今でも甦ります

「八ツ橋」の名前は 箏曲の祖といはれる八橋検校を偲び
琴の形に焼いたといふ由来があるさうです
また伊勢物語 (かきつばた) に出てくる三河の国の八橋
の故事に基づくいう説もあります


「哲学の道」の名前の由来は哲学者 西田幾太郎たちが
よく散策したことから命名されたと言はれています
私は西田幾太郎が哲学者であるといふことは知っています
が著書を読んだ事はありません

私が知っている京都の哲学者は梅原猛氏だけ
それも哲学者であることを知ったのは柿本人麻呂論の
「水底の歌」を読んでからです
当ブログの表紙に梅原猛著「水底の歌」「歌の復籍」の
ガバーを載せていますよ

仕出屋さん

京都は仕出屋さんの多い所です
花街で芸妓 舞妓の芸を楽しみ 美味しい料理を満喫する
お座敷遊びといへばお茶屋ですが
「茶屋」は場所とお酒を
提供するだけ 芸妓 舞妓は
「屋形(置屋)」から そして
料理は
「仕出屋」が運び込むといふ分業になっています

京都では「なんぞごと」の時は勿論のこと 訪問客に家庭
料理を出すことはありません
仕出屋さんから客膳を取寄せるのです
時には仕出屋さんが台所まで出張し盛り付けまでします
素材・調理道具・食器類まで持ち込むことさへあると聞
いています


出された料理は全部食べずに少し残すのが京マナーのや
うです 「足りなかったのかなぁ?」といふ余計な心配を
家主にかけない訪問者の遣いが このやうな形になったとか

でも もし全部食べてしまった時は「とても美味しかった
ので全部頂きました」と言へば それで済むやうですよ


「ぶぶづけでも どうどす?」 は 「もう帰れ」のサイン
といふ話は余程 嫌はれた客が対象になっているのでせう
元々は「もっとお話したいので お茶漬程度のものしか
ないが だうかゆっくりしていって欲しい」の意でした
(過去形にしてよいものか? まだ残っているかも)

一度は辞退しても更に勧められ 「ではお言葉に甘へて」
となりますと 出てくるのはお茶漬程度といったものでは
ありません ここに登場するのが「仕出屋さん」からの
料理なんです
家主側が一緒に食べることはありません 「では ごゆっ
くり」といふことで 独りで食べる事に相成ります

これが京都流の「おもてなし」 京都に限らず食事時に
掛かりさうな訪問は避けた方が懸命かもしれませんね

嵯峨の大覚寺

大覚寺は皇室ゆかりの寺 その風格を備へた京の大名刹
本尊は五大明王  嵯峨天皇の皇女(淳和天皇の皇后)が
父の離宮・嵯峨院を寺に改めたことに始まる
華道の嵯峨御流の総司所でもあります

梅雨さへも未だ明けぬこの時期に以下の話は少し早過ぎる
かも知れませんが嵯峨院庭園の遺構 大沢の池について

平安貴族が舟遊びをしたという大沢の池
九月中秋の名月の日に大沢池に龍頭船 鷁首船を浮べ
雅やかに行われる観月の夕べは昔の宮廷人の月を愛でる
姿が再現されます

大沢の池は 奈良・猿沢池や大津・石山寺と共に
日本三大名月鑑賞地とされています

「大沢池 附 名古曽滝跡」 名古曽の滝は古くから有名で
小倉百人一首にも歌はれています


滝の音は絶えて久しくなりぬれど
  名こそ流れてなほ聞えけれ
   大納言公任

秋の夕暮れを詠んだ「三夕の歌」も ごついでにだうぞ

祇園祭 宵山(2)

昨日七月十六日 京都 祇園祭 宵山へ行って来ました
四時に家を出て 四条烏丸に着いたのが四時四十五分
地下鉄を上った所が綾小路通の交差点でしたが
なななんと烏丸通の車道り両サイドに露店がズラリ
車が遠慮がちに徐行 綾小路通にも露店が並び
あっちの通りもこっちの通りも露店 露店 人 人 人

私は四条通を一路西へ と言っても人の流れ任せ
函谷鉾をカメラに納めて そして月鉾もパチリ
郭巨山 四条傘鉾と順に撮って行きました
西洞院から今度は綾小路通を東へ戻りながら
伯牙山 綾傘鉾 鶏鉾をカメラに納めてスタート地点へ
たったこの一周で一時間半もかかったのです

汗はびっしょり 家を出る直前にトーストを食べたのに
お腹はペコペコ 露店でフランクフルトソーセージを


四条通は既に歩行者天国  天国などと とんでもない
芋を洗ふやうな混雑とこのことでせうね
長刀鉾が目の前に見えているけど もっと近くで撮りたい
国会の牛歩よりゆっくり それも後ろから押されながら
やっと長刀鉾の近くへ辿り着いて歩きながら押されながら
パチリ パチリ パチリ 誰もがさうでした

大丸百貨店へ逃げ込んでホッと一息
地下道は空いていました 河原町まで直行し通りに出て
みて とても八坂神社までは行けないと判断 今度は
高島屋で一休みしました

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祇園祭 宵山

京都では もう一昨日の宵々々山から凄い人出
今年初めて食べられる粽(ちまき)が発売になったと
TVで放映されていました 京都の人にとって厄除けの
この粽は 玄関に飾るもので食べられないことは百も承知
「蘇民将来之子孫也」と書かれた護符がついています

でも京都外の方からは よく「この粽 食べられますか?」
と尋ねられることが多かったので今年初めて食べられる
粽が発売になったやうです 但し数が少ないので入手困難
TVによれば「生麩」を原料にしていました


また京都では宵山の期間中 旧家や老舗が普段は見せない
屏風など秘蔵の美術品を展示公開します これが
屏風祭
或る学校では木や草木・花をあしらった前衛屏風を生徒が
懸命に作っていました 以上 一昨日のTVより

さぁそして明日はいよいよ祇園祭のクライマックス
山鉾巡行です 天気予報は曇時々雨 降水確率 50% 31℃

今日の私? 四時頃には家を出発します まずは八坂神社へ
四条烏丸で地下鉄を降りて そこから歩くつもり
カメラとペットボトルを忘れずに 熱中症に注意!です

壬生寺

壬生寺 本尊は地蔵菩薩

七月十六日は新選組隊士等慰霊供養祭
佐幕勤皇両志士慰霊のための供養祭を執り行っています
新選組はここ壬生の地において結成されました

壬生塚 (新選組隊士の墓所)
壬生寺境内にある池の中の島は壬生塚と呼ばれ
新選組 近藤勇の胸像と遺髪塔 芹沢鴨の墓などがあり
三橋美智也の「あゝ新撰組」の歌碑も立っています


壬生狂言 正しくは
「壬生大念佛狂言」
円覚上人が壬生寺において大念佛会という法会を行った際
群衆を前にして分かり易い方法で仏の教えを説こうと
身ぶり手ぶりの無言劇「持斎融通念佛」を考えついた
これが壬生狂言の始まりと伝えられており
「壬生大念佛狂言」は春と秋に公開されています
(京都三大念仏狂言 の一つ)

八月九日~十六日 盂蘭盆 万灯供養会


京野菜の
「壬生菜」は京葉(みず菜・水菜)の変種が
壬生地区に多く植えられるやうになり「壬生菜」と
呼ばれるやうになりました
水菜は葉っぱがギザギザですが「壬生菜」は葉に
丸みがあります お漬物には最適で私も八月下旬~
九月上旬に種蒔きの予定

六道まいり

八月七日~十日 六道珍皇寺で行われる「六道まいり」

参道で高野槙(こうやまき)を買ひ求め 本堂で水塔婆に
戒名を書いて貰ひます 次に「迎え鐘」を突いて ご先祖
様の霊を迎へ 線香の煙で水塔婆を浄め地蔵尊霊前で高野
槙を水で濡らし水塔婆に水をかけてます (水回向)

六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道
門前は
「六道の辻」と呼ばれ現世と来世の境目です
小野篁 は夜になると本堂の裏手にある井戸から冥界の
闇魔庁へ通ひ闇魔大王に仕へていたと伝へられています
また「六道の辻」は都の葬地「鳥辺野」の入り口にあたる
ことから この世とあの世の境界だとも言はれています

京都のお盆はかうして始まりお迎へした霊をあの世に
送り出すのが八月十六日 「五山の送り火」です


六道珍皇寺には「地獄極楽図」がありますが
私の田舎にも三昧(火葬場)の近くに闇魔大王を祀った
かなり大きなお堂がありました
そして そこには「地獄極楽図」ならぬ「地獄図」が
あったやうに憶へています
子供にとっては怖い場所でもありましたが 覗いて
見たくなるお堂でもありました

六道の辻 近くには「子育飴」を持った幽霊も出たとか

小野篁 は百人一首にも出ていますし
幽霊との恋といふ奇怪な伝説もありますよ

はなくそあられ

七月二十五日 真如堂宝物虫払会 真如堂
真如堂の正式名称は真正極楽寺
この日 本堂で寺宝を虫干し公開され
暑気払い「びわ湯」が振舞はれます

1717年に再建された本堂は京都市内の天台宗本堂として
最大規模を誇り 京都でも指折りの紅葉の名所です


三月には縦六米 横四米の極彩色涅槃図が公開され法要が
営まれますがその時 配られるのが
「花供祖あられ」
文字で見ると綺麗なあられですが読み方は「はなくそ」

軽く焼いたあられに黒砂糖を絡めたお菓子で 以前はご本尊
にお供へした鏡餅を小さく刻んで作っていました
仏様の「はなくそ」を頂くと無病息災のご利益があります

京のお煎餅屋さん・田丸弥さんで販売されており
「花供曽」 一袋 四百二十円

松虫姫 鈴虫姫

七月二十五日 鹿ケ谷カボチャ供養 安楽寺
江戸時代 安楽寺の真空上人が見た夢  夏の土用にカボチャを
供養すれば病を免れるとの夢のお告げに由来する

安楽寺には次のやうな悲話が残っています
後鳥羽上皇の女官であった美貌の姉妹
松虫姫・鈴虫姫
出家を望んで法然の弟子 住蓮房と安楽房に剃髪して貰ひ
尼僧になったが これに激怒した上皇は住蓮房・安楽房を
斬首 法然を讃岐国へ流罪とした

当時 仏教は貴族仏教であり権力者や貴族だけのものでした
これに対して法然は「人は誰でも南無阿弥陀仏を唱へれば
救われる」と説いたのですから
松虫姫 鈴虫姫の悲話の背景には法然の説く専修念仏に反対
する仏教集団を始め後鳥羽上皇の宗教弾圧があったのです
この事件は「建永の法難」と言はれています


松虫姫 鈴虫姫 出家前の歌

哀れ憂きこの世の中のすたり身と
  知りつつ捨つる人ぞつれなき


安楽上人 辞世の歌

今はただ云ふ言の葉もなかりけり
  南無阿弥陀仏のみ名のほかには


住蓮上人 辞世の歌

極楽に生まれむことのうれしさに
  身をば佛にまかすなりけり

陶器市

千本釈迦堂 (正式名称は 大報恩寺) については
大根焚き の項でもご紹介しましたが
七月九日~十二日には境内で恒例の
陶器市が開かれます
そして昨十日は陶器供養法要が営まれました

陶器露店は「弘法さん」の縁日にも沢山並びますが
八月七日~十日に催される「五条坂の陶器祭」も有名で
五条坂周辺に ここでも沢山の陶器露店が並びます
京都の夏の風物詩になっていますが日中は暑いかも


京焼・清水焼
 (経済産業大臣指定の伝統的工芸品)
京焼は京都で作られる陶磁器の総称で その代表とも
言はれているのが清水焼

清水坂界隈の窯元で焼かれていた焼き物を指して清水焼
と呼ばれていましたが現在では山科区の清水焼団地や
宇治市の炭山工芸村で生産されているものを清水焼と呼ぶ

七月十八日~二十日には清水焼団地で窯元や卸業者が出店
した「清水焼団地陶器祭り」が催されます

清水焼の抹茶碗など おひとつ どうどす?

京の七不思議

知恩院 の七不思議 出水通の七不思議
永観堂の七不思議などがありますが
浄土宗の総本山 知恩院の七不思議をご紹介します


●鴬張りの廊下
御影堂から大方丈・小方丈に至る廊下は歩くと鶯の鳴き声
に似た音がし静かに歩かうとするほど音が出ます

●瓜生石
黒門前の交差点にある石
二条城へ続く抜け穴の出入り口であるとか
牛頭天王が降臨してこの石に瓜が生えて一夜にして花が
咲き実がなったとか

●大杓子
大方丈入口の廊下の梁にある長さ二米五十糎
重さ約三十kgの大杓子  大阪夏の陣で三好清海入道が
この杓子で大暴れしたとの言ひ伝へがあります

●三方正面真向の猫
大方丈廊下の杉戸に描かれた狩野信政の猫の絵
この絵の猫はどちらから見ても見る人を正面から睨む

●抜け雀
狩野信政が描いた大方丈の菊の間の襖絵
万寿菊の上に数羽の雀が描かれていたが雀が命を受けて
飛び去ったといわれている

●忘れ傘
御影堂正面軒下に置かれており左甚五郎が魔除けの為に
置いていったとされています
また御影堂建立時に そこに棲んでいた白狐が 居場所が
なくなるので棲家を作って欲しいと頼みその御礼に寺を
護ることを約束して置いていったとも伝へられている傘

●白木の棺
三門楼上に二つの白木の棺が安置され その中には
三門を建てた大工の棟梁 五味金右衛門夫婦の自作の木像が
収められています
金右衛門は予算超過の責任を取り自刃して果てた

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京菓子

京都の和菓子は美味しいけど高い けど たまには食べたい
京都駅の伊勢丹地下には和菓子屋さんがズラリ
田舎の母は京都の生菓子が大好物でしたから 北陸へ帰郷
の際は少し早めに行って 今日はどれにしゃうかと見て歩
くのも楽しみの一つでした  今は自分の口へ

江戸時代 お江戸では京都の和菓子を
「京菓子」 と呼んで
いたやうです
京都では朝廷への献上菓子に由来して
「上菓子」 と呼び
団喜(だんき)といふ種の菓子・清浄歓喜団(せいじょう
かんきだん) は神饌にも供へらます
清浄歓喜団は亀屋清永(かめやきよなが)さんの代表的銘菓

亀屋清永さんを地図で調べましたら
八坂神社の真ん前の通りを百米ほど下ったところ
清浄歓喜団はJR伊勢丹・京都高島屋でも販売されている
一つ525円(税込) 近々味見の予定です


上菓子は茶の湯にとっても なくてはならないもの
当然のことながら注文販売らしい
茶道家元の好きな菓子を「好み菓子」と言ひます

茶の湯に使はれる菓子は濃茶(こいちゃ)と薄茶(うすちゃ)
では正しくは使用される菓子の種が違ひます
  濃茶(おこいちゃ とも言ふ)には主菓子(おもがし)
     蒸菓子・生菓子など
  薄茶(おうす とも言ふ)には干菓子(ひがし)
     落雁(らくがん)・煎餅など
でも現在は薄茶に主菓子を出すことも多いと聞いています

京都の三大と三珍

京都三大祭
葵祭 祇園祭 時代祭


京都三大奇祭
やすらい祭(今宮神社) 貴船の水祭 (貴船神社)
鞍馬の火祭(由岐神社)


京都三大事業
第二疎水 上水道 道路拡張と市電敷設


京都三大名水
縣(あがた)井 醒(さめ)ヶ井 染(そめ)井 = 梨木神社


京都三大門
知恩院の三門 南禅寺の三門 仁和寺の二王門?
知恩院の三門 南禅寺の三門 東本願寺の大門?


京都三珍鳥居
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたま
じんじゃ) 通称 蚕ノ社(かいこのやしろ)の「三柱鳥居」
京都御苑内にある厳島神社の「唐破風鳥居」
北野天満宮内にある伴氏社(ともうじしゃ)「鳥居」
台座の蓮弁が珍しい

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歌の復籍 上巻・下巻
著者 梅原猛
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歌の復籍


水底の歌 上巻・下巻
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万葉集(一) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
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講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(二)


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講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(三)


万葉集(四) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
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万葉集(別巻)全訳注原文付
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文法全解 伊勢物語
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有精堂
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もっとも分り易き 萬葉集の解釋
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くわしい解説 小倉百人一首
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田辺聖子の小倉百人一首
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プロフィール

ちゃむ

  • Author:ちゃむ
  • 1940.01 生まれ 男性
    この写真は但馬皇女の歌
    人言を繁み言痛み己が世に
      未だ渡らぬ朝川渡る

    をイメージしたものです

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