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この寺は(2)

この寺は何が有名?

永観堂 本尊の阿弥陀仏は永観(ようかん)が念仏の行道中
  に現れて「永観 遅し」と導かれたことから
  
「みかえり阿弥陀」と呼ばれる
  永観堂は「ようかんどう」ではなく「えいかんどう」

円通寺 比叡山を借景とした枯山水庭園 
借景庭園の代表

円徳院 高台寺の塔頭 北庭は小堀遠州が手を加へた庭園
  宝塔の笠を利用した「桧垣の手水鉢」

円福寺 通称は達磨堂(寺) 達磨像は
日本三大達磨の一つ

延暦寺 山号は比叡山 織田信長の焼き討ち 根本中道
  最澄(伝教大師)

黄梅院 大徳寺の塔頭 鯰型の池を持つ枯山水庭
  雲谷派の祖である雲谷等顔の襖絵
「竹林七賢図」

大谷祖廟 真宗大谷派(東本願寺)の祖廟 親鸞の祖廟(墓)

岡崎別院 東本願寺の別院 親鸞屋敷 鏡池(姿見池)

愛宕(おたぎ)念仏寺 
千二百羅漢の寺
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この神社は(2)

この神社は何が有名?

疫神社 (蘇民将来社) 八坂神社の境内にある摂社
  七月三十一日 
夏越祓 祇園祭最後の神事です

恵美須神社 
都七福神まいりの一つ 商売繁盛・交通安全

大田神社 芸事の神様
カキツバタ群落は国の天然記念物

大豊神社 大国主命を助けた
石造の狛鼠

大原野神社 瀬和井(せがい)の清水は和歌に詠まれた名水

岡崎神社 東天王社ともいふ 安産・方除け・厄除け

男山八幡宮 石清水八幡宮のこと 弓矢の神 戦勝の神

蚕の社 三鳥居は
京都三珍鳥居の一つ

首途八幡宮(かどで) 牛若丸(義経)が奥州へ旅立つ際に
  道中の安全を祈願した

上御霊神社 応仁の乱の戦端が開かれた所 
唐板の煎餅

貴船神社 水の神様 貴船の夏の
川床料理

承久の乱

荘園管理手法は幕府の方が一枚上でした
荘園からの宮方への寄進(税)は減少
後鳥羽上皇は面白くありません

1219 源頼朝・北条政子の子である三代鎌倉幕府将軍
源実朝が急死し直系の将軍はいない

1221 後鳥羽上皇は鎌倉幕府に対して倒幕の兵を挙げた
鎌倉幕府の第二代執権 北条義時追討の院宣を発したのです
これが
承久の乱
義時は「尼将軍」政子の弟  政子が黙っている筈はない
宮方は敗れて七月には後鳥羽上皇は隠岐島へ配流


蘇我赤兄に裏切られた有間皇子にしろ藤原種継暗殺の
首班側とされた早良親王にしろ でっちあげにしても
陰謀であっても これまでは仕掛けた方が勝って来たのに
後鳥羽上皇 戦は下手だったのですねぇ

片や北条政子 頼朝亡き後の幕府を支へて来た武士の妻
子供には先立たれ うち二人は暗殺されたのですぞ
後鳥羽上皇の宮方は敗れるべくして敗れたのです


義時追討院宣の報を受けた北条政子の御家人たちへの演説

  皆心を一にして奉るべし
  これ最期の詞なり 故右大将軍朝敵を征罰し関東を
  草創して以降官位と云い俸禄と云いその恩既に山岳
  より高く溟渤より深し報謝の志浅からんや
  而て今逆臣の讒に依り非義の綸旨を下さる
  名を惜しむの族 早く秀康 胤義等を討取り
  三代将軍の遺跡を全うすべし
  但し院中に参らんと欲する者 只今申切るべし

下鴨神社

下鴨神社 正しくは
賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ) と言ひます
祭神は賀茂建角身命 (たけつみのみこと) と玉依媛命
上賀茂神社に祀られている賀茂別雷神社の祖父と母です

東本殿と西本殿は三間社流造りで共に国宝 (世界文化遺産)

五月十五日 
葵祭は下鴨神社と上賀茂神社で行はれる
京都三大祭の一つ
もとは賀茂祭と言はれていました  平安貴族の王朝絵巻
この時代 祭りと言へば賀茂祭(葵祭)を指したのです


行列は勅使を中心とした本列と 斎王代を中心とした女人列
からなります 斎王代が主役と思はれがちですが
主役はあくまで「勅使」なのです

祭儀は宮中の儀・路頭の儀・社頭の儀からなりますが
現在は宮中の儀は行はれず路頭の儀と社頭の儀だけが
行はれています

京都御所を出発した王朝行列は下鴨神社へ
そして上賀茂神社へ向かふのです

上賀茂神社 (2)

徳川家康も上賀茂神社を篤く信仰していました
家紋の三ツ葉葵が上賀茂神社の神紋に由来したからです

御手洗川と御物忌川が合流して出来るのが ならの小川
その ならの小川での夏越祓式の情景が百人一首に詠まれ
ています

風そよぐならの小川の夕暮は
  みそぎぞ夏のしるしなりける
  藤原家隆

下鴨神社の糺の森の馬場で行はれるのが流鏑馬神事
上賀茂神社 一の鳥居と二の鳥居間で行はれるのが
競馬会神事です

御生神事 御阿礼神事 みあれじんじ
上賀茂神社で最も古い神事で秘儀
神霊を迎へるための神事ですが完全非公開となっています

下鴨神社の名物は みたらし団子
上賀茂神社の名物菓子は焼餅 正しくは「葵餅」
焼餅の中には甘ぁい小豆餡が入っています

上賀茂神社

上賀茂神社 を語るには 下鴨神社と葵祭 (賀茂祭) を
避けては通れません
下鴨神社を語るにも 葵祭を語るにも同じことが言へます


上賀茂神社 正しくは
賀茂別雷神社 (かもわけいかづちじんじゃ) と言ひます
祭神は賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)
下鴨神社に祀られている玉依媛命のお子様です

上賀茂神社は下鴨神社と並び京都で最も古い神社の一つ
天武天皇の御世に本殿が建立されました
この地を支配していた豪族賀茂氏が氏神を祀ったのが
起源とされています

本殿と権殿は三間社流造りで共に国宝 (世界文化遺産)

宮中では神への崇敬行為の一つとして未婚の皇女を
御杖代とする例があった (伊勢神宮の斎宮)

嵯峨天皇もこれに倣ひ御杖代として皇女有智子内親王を
斎院と定め 以後 後鳥羽院と鎌倉幕府の政変・承久の乱で
途絶えるまでの約四百年間 斎院がたてられました

(続く)

京菓子 (2)

京都には色んな種類のお菓子があります
神饌用菓子としても有名な亀屋清永の清浄歓喜団
琴の形の
八ツ橋 三角形は水無月 そして私が一番好きな
五色豆

この数年はさうでもありませんが それ以前 私が京都駅で
土産を買ふなら 渡す相手に関係なく 一も二もなく
五色豆 でした
食べるのは私ではなく 渡す相手であるのに です
そして自分が食べるためにも少し買っていました

五色豆のあの甘さは 何故か自分の幼い頃を思ひ出させ
るのです 色によって味が違ふのも これまた懐かしさを
誘ひます


さて ここで疑問が一つ
清浄歓喜団や水無月は 京都に関する本の京菓子の項に
載っているのですが 八ツ橋と五色豆 は載ってません
何故でせうか あれほど有名なのに とても気になります

近々また京都検定に関連した講習会が京都で開催されます
京菓子の話になったとき 忘れずに確認しなきゃぁ

京言葉 (2)

もう十五年以上前のことになりますが私がまだ現役の頃
京都の有名な風呂敷屋さんへ仕事で伺ったことがあります
と言っただけで風呂敷屋さんの社名が分かるかも

事前にアポイントメントをとって伺ひました
こちらが売り込む立場にあったのですが
面談が終わると 当の重役さんは事務所の方に向って
大きな声で「おともぉ~」と呼びかけられ
やがてハイヤーが事務所前に到着 その重役さんが私に
同乗して京都駅八条口まで送って下さいました
次回訪問の時も同じでした

来客用のハイヤーのことを
「お供」と言うのかな? と
後で調べてみますと「お供車」といふ用語を見つけました
私の考へたことは当たっていたのですが
葬儀などでは一般的に使用されているのですね

で 仕事の方はだうなったかって?
気に入っては貰へたのですが時期尚早といふことで・・・
こちらの印象としては流石 老舗だけあって 紳士的で
良い印象だけ残っています 私が伺ったのは御池でした


「三条」「七条」をだう呼びますか
若い人は「さんじょ」「ひっちょ」と呼ぶさうです
でも私は お婆さんが「○○ひっちょを お上がりやして」
と話しているのを聞いたことがあります

国道171号線は「いないち」 関係ないか?

京の俗諺

東男に京女  私は関西男なので納得出来ない
  明日は男に今日女・・え?何のこと?


伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕様へは月参り

月参りする愛宕信仰を強調したものです
京の俗諺といふこととは特に関係のないことですが
愛宕さんと聞いて ふと思ひ出しました
私が子供の頃 憶へた「田螺殿」の歌
「田螺殿」は私が今 勝手につけた題名です
本当の題名は知りません


 田螺(たにし)殿ぉ 田螺殿 愛宕様へおじゃらぬか
 嫌ですよぉ 嫌ですよ それは去年の夏のこと
 とぜう殿に誘はれて ちょろちょろ小川を渡る時
 トンビや鴉やフクロメが あっちゃこっちゃ突きここ突き
 その傷がぁその傷が 四節巡りて冬越せば
 ズンキラズンキラ ズンキラズンキラ痛み出す
 何か妙薬おじゃらぬか
 ありますよぉありますよ
 山でとれたる蛤と海でとれたる松茸を
 水であぶって火で練って
 あしたつければ今日よなる


「よなる」 は 「良くなる」 の意
どこの民謡でせうか
私は小学低学年の頃 学芸会で これを一人で踊ったのです
こんなレコードがあったわけではありません
文句も節も口から耳へと教へ教はりでした

この寺は

この寺は何が有名?

化野念仏寺 (あだしの) 
千灯供養 八千体の無縁石仏

阿弥陀寺 (上京区) 
織田信長の墓

阿弥陀寺 (左京区) 弾誓(たんぜい)の
即身仏

安楽寺 松虫・鈴虫の出家と住蓮房・安楽房の処刑

誠心院 通称は
和泉式部寺 和泉式部の墓がある

一言寺 一心に祈れば言下に願い事が叶へられる一言観音

一休寺 酬恩庵(京田辺市) 一休禅師画像 方丈庭園

今熊野観音寺 西国三十三所観音霊場の第十五番札所

岩倉門跡 実相院 
池泉回遊式庭園 枯山水の石庭

岩屋寺 大石内蔵助 縁の寺 浅野内匠頭や四十七士の位牌

引接寺(いんじょうじ) 
千本閻魔堂 大念仏狂言 小野篁

雨宝院 歓喜桜が有名 八重桜で根元から花をつける

雲龍院 土佐光信筆の「後円融院宸影」本堂は龍華殿

京の名物料理

いもぼう平野家本家 「いもぼう」とは
京の伝統野菜である海老芋 (えびいも 里芋の一種) と
棒鱈を炊き合はせたものです

昭和四十年代の始め頃 会社の課員全員で「いもぼう」を
食べに行ったことがあります
今ならこの美味しさを味わふことが出来るのですが
あの頃の私にはビフテキの方が有難かった

棒鱈は我が家では正月料理の定番
海老芋とはいきませんが里芋の煮物は私の好物
薄味は駄目 私は濃口醤油派です
里芋と棒鱈を炊き合はせ 我が家にはありません


鯖寿司
京都の或る知人は鯖寿司作り名人級
鯖寿司作りだけではない 魚は捌く 歌は詠む
何をさせても器用なのだ
我が家を訪問する時は必ずと言っていいほど自作の
鯖寿司を持って来る
あれって少し食べたやうでもすぐ満腹になるんですね

大阪生活が長かった私なんかは鯖寿司のことを
「ばってら」と言ひますが 京都の知人はそのことを知
りつつも 決して「ばってら」とは言はない

この神社は

京都の数ある神社仏閣について答へられますか?
この神社は何が有名?  この寺は何が有名?
一つの神社仏閣で 有名なものが一つとは限りません

これからは時々以下のやうな形式で神社仏閣とその有名
なものについてご紹介したひと思ひます
括り方が異なりますので既にご紹介済みのものも敢へて
載せております


県神社 (宇治市) 
暗闇の奇祭
愛宕神社 千日詣りと呼ばれる通夜祭


粟田神社 石段下が京の七口の一つ・粟田口にあたる

護王神社 
いのしし神社 子育て明神

新熊野神社(いまくまの) 
京都三熊野社の一つ
  他の二つは熊野神社と熊野若王子神社

新日吉神宮(いまひえ) 
酒造・医薬・縁結びの神様

石清水八幡宮 (八幡市) 
弓矢の神・戦勝の神 八幡造

宇治上神社 (宇治市) 
宇治七名水の一つ 桐原水がある
  国宝にて世界遺産

宇治神社 (宇治市)  離宮下社(離宮上社に対して)

梅宮大社(うめのみや) 酒造・安産の神様
  
跨げ石(子授けの石)

歌道

冷泉家 (れいぜいけ) の先祖は藤原定家 (父は藤原俊成)
そして現在の当主は冷泉為人さんです
冷泉家は近世中級公家邸の唯一の遺構で重要文化財

藤原定家は「新古今和歌集」の撰者の一人であり
「小倉百人一首」を編んだ
定家が日記に残した有名な言葉は
紅旗征戎わが事にあらず
  (源頼朝が挙兵しゃうが俺の知ったことか)


豊臣秀吉は茶道だけでなく歌道にも首を突っ込んでいる
奥山にもみじ踏みわけ鳴く蛍
さぁ これに下の句をつけよ  といふ訳である
蛍が鳴く筈がない 皆 はたと困った
と 細川幽斎は こんな古歌があると言ってその場を繕った


武蔵野の篠を束ねて降る雨に
  蛍よりほか鳴く虫もなし


そして秀吉の出した句に自ら下の句をつけたのです

奥山にもみじ踏み分け鳴く蛍
  しかとは見えぬ杣のともし火


この話を知った時 私は落語の「てれすこ」そして
「すてれんきょう」のことを思ひ出しました
誰も知らない事柄については 最初に言った人の言葉が
正しいといふ変な理屈 (幽斎が即席で作った古歌)

豊臣秀吉

百余年に亘る戦国時代を一段落させたのが豊臣秀吉です
豊臣秀吉は伏見城を建て そこでその生涯を閉じました

露と落ち露と消えにし我が身かな
  難波のことも夢のまた夢


聚楽第は秀吉の京都における邸宅
今やこれも幻の邸宅です

秀吉は京都全体の都市改造に着工 その一つが 御土居
京都を囲む土塁です  全長五里二十六町 (23km)

半町ごとに南北の新道を貫通させ短冊型の町割にした
のも秀吉です
それまで平安京の
条坊制では 一条を四坊 一坊を四保
一保を四町に分割していました


一里=36町
一町=60間
一間=6尺
一尺=10/33m
従って 一里=3.927km 半町=30間 一間=約1.8
一町=約109m

私が子供の頃 道を尋ねると
「もう一町ほど いきなはったら云々」
といふ返事はよく聞きました
私は 一里は四キロ米 一町は百米ちょっと
と憶えていました


「いきなはったら」 は私の里の方言です
京都なら「いかはったら」 でせうか

応仁の乱

室町幕府 第八代将軍 足利義政には子がなく弟の義視を
猶子として後継者に立てた
翌年 妻の
日野富子が義尚を出産 義尚を将軍職に就かせ
やうと義尚の補佐役を山名持豊(宗全)に依頼 義視の
補佐役・細川勝元と対抗させた

政治に関心のない義政と野心満々の日野富子
義尚は本当に義政の子だったのか 富子と神のみぞ知る
京都で 前の戦争 と言へば 応仁の乱
応仁の乱は1467年(応仁元年) ~ 11年間続いた

東軍 細川勝元 足利義視 畠山政長 斯波義敏
西軍 山名宗全 足利義尚 畠山義就 斯波義廉

1473年3月 山名宗全 没
1473年5月 細川勝元 没

我が子 可愛いさが起こしたお家騒動
結局 泣いたのは町人たちでした

悪妻といへばソクラテスの妻・クサンチッペですが
日野富子にかかっては出る幕がない

法金剛院

平安初期 右大臣清原夏野の山荘であったが彼の没後
これが双丘寺となり次いで文徳天皇が伽藍を建て天安寺
と号した その後 鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子が天安寺
を復興し
法金剛院 と改号した  ご本尊は阿弥陀如来

阿弥陀如来坐像 十一面観世音菩薩 同厨子などの仏像は
重要文化財に指定されている

夏になると池の水面が見えないほど蓮の花が咲く法金剛院
は蓮の寺とも言はれているのです

庭園の北端には待賢門院が造らせた
青女の滝 がある
この滝は巨石を並べたもので林賢と徳大寺靜意の作
青女の滝を含めこの庭園は国の特別名勝に指定されている

この庭園は待賢門院が極楽浄土として造園させたもので
「池泉廻遊式庭園」


庭園の北東側に近年 待賢門院堀河の歌碑が建てられた
長からむ心もしらず黒髪の
  みだれてけさは物をこそ思へ


堀河は待賢門院藤原璋子(鳥羽天皇の中宮 後白河天皇
の母 崇徳院の母)に仕へて堀河と呼ばれました
女房三十六歌仙の一人

続きを読む▽

大田神社

上賀茂神社の境外摂社で祭神は天鈿女命(あめのうずめの
みこと)と猿田彦命(さるたひこのみこと)

天鈿女命は日本神話に登場する女神で「岩戸隠れ」に登場
する芸能の神様 日本最古のダンサーで
猿田彦命は天鈿女命の結婚相手です

天照大神が天岩戸にお隠れになり世界中が真っ暗になった
神々は天の安の河原に集ひて一策を案じ天岩戸の前で
天鈿女命を半裸で踊らせた 神々の笑いに誘はれて
天照大神が覗き見をしようと天岩戸を少し開けた所を
見計らって力持ちの神・天手力雄命が天岩戸を開け
天照大神を連れ出したので世界はまた明るくなった

天照大神は女性神なのに神々は何故 天鈿女命を半裸に
して踊らせたのか 私は不思議でなりません


大田神社境内の大田の沢 ここに自生するカキツバタの
群落は国の天然記念物に指定されています


神山や大田の沢のかきつばた
  ふかきたのみは色に見ゆらむ
   藤原俊成

変な石

紫雲山 頂法寺 開基は聖徳太子 ご本尊は如意輪観音
本堂が宝形造の六角堂で京の町の人々から
「六角堂」
「六角さん」の名で親しまれています
昔(室町時代)から町堂として町衆との関りが深い

平安京造営の折 お堂の位置が道筋にあたるので勅使が
祈願すると礎石一つを残してお堂が自ら北へ退いた
といふ話は有名で その残された礎石が
「へそ石」
この六角形の「へそ石」のある場所が京のど真ん中です

六角堂はまた日本の生け花発祥の地でもあり池坊華道の
拠点にもなっており 六角堂の北側に池坊のビルがある

京の通り名 数へ唄を憶え始めた時 最初に憶えたのは
「姉三六角蛸錦」そして「四綾仏高松万五条」と続きます
六角堂の名物は「へそ石餅」 勿論六角形です


弁慶石
弁慶が五条大橋から投げた石であるとか比叡山から投げ
た石であるとか言はれている弁慶石
弁慶が幼い頃住んだ三条京極で遊んだ遊び石であるとも

弁慶が奥州の高館で最期を遂げた際に京極から奥州に移
されたとも伝へられ その石がある日「三条京極に戻り
たい」とわめき出し 高館に熱病が流行り出したので人々
は弁慶の祟りだと恐れこの石を京都へ送り返しました
付近の町名が弁慶石町です

宇治の平等院

平等院 世界遺産(文化遺産)にも登録されています

藤原頼通が父・道長の別荘であった宇治殿を寺院に改め
大日如来を祀って平等院と号しました
阿弥陀堂(鳳凰堂)に安置されている阿弥陀如来坐像は
平安時代の最高の仏師・定朝の作品
鳳凰堂・阿弥陀如来坐像 共に国宝です


鳳凰堂 と言へば 左右対称に均整のとれた優美な建築物
さうです 十円硬貨の図柄です

そして今度は新一万円札に鳳凰像が採用されました
表面の肖像は福沢諭吉
裏面の図柄が平等院の鳳凰像です


鳳凰堂の格子の円窓を通して阿弥陀如来像を拝むと・・
どのやうなご利益があるのかは知りませんが
私は窓越しの阿弥陀如来像を拝みましたよ

ところで 橋姫 の名前は知っている私ですが
「橋姫神社 (橋姫社)」へはまだ行ったことがありません
平等院へ行かれたら是非 橋姫神社へもお参りして下さいね

今宮神社

今宮神社 は紫野社とも呼ばれ 祭神は
 大己貴命 (おおなむちのみこと)
 事代主命 (ことしろぬしのみこと)
 奇稲田姫命 (くしなだひめのみこと)

平安初期に疫病を祓ふため京の人々が疫神を祀ったのに
由来する神社とされています

やすらい祭 は京都三大奇祭の一つ
鎮花祭 (はなしずめのまつり) の一種
春の花の飛び交う頃 疫神が分散して疫病を流行らせると
考へ 花の精を鎮め無病息災を祈願したのでせう


あぶり餅 は古くから祭りの名物で疫病を祓ひます

境内の片隅に
「阿呆賢(あほかし)さん」といふ不思議な
石があります 丁度 両手で持てるほどの大きさ

重軽石とも言はれ 三度石を打って持ち上げると重くなり
再度願ひ事を込めて三度石を撫でて持ち上げると軽くなり
願いが成就します

本当に願ひが叶ふのか?
願ひが叶ふと言い伝えられている・・と表記するのが
正しいのですが 神社・仏閣・伝説・不思議の類は
「・・・と言い伝えられている」 が余りにも多いので
この際 思ひ切って決定語で表記しました

しては駄目

京都のお盆
お盆に昆虫採集をしてはいけない
京都では「おはぐろトンボ」をお精霊トンボと言っています
お盆になるとご先祖様がおはぐろトンボに姿を変へられ
浄土からこの世に帰って来られるです
ですからお盆に昆虫採集をしてはいけません
殺生してはいけないのです


祇園祭と胡瓜
祇園祭にキューリを食べてはいけません
祇園祭は八坂神社のお祭りです
その八坂神社の神紋がキューリの切り口模様にそっくり
それを口にするなんて 何と畏れ多いことか といふことで
京都では祇園祭の間 胡瓜を口にしません
胡瓜の一番美味しい時期に 胡瓜絶ちをするのです


嫁隠し
鰻の寝床といはれる京町屋は表玄関を入ると裏まで続く
細い通路があります その中間あたりに立つ衝立や戸板を
嫁隠し といひ目隠しの役目をしています
その奥には竈・井戸・水屋など生活空間があるのです
家の人の許可があるまで これより先に入ってはいけない
八百屋・魚屋・酒屋など馴染みの出入り業者でも
嫁隠しの手前から声をかけます

十三参りでは渡月橋を渡り切るまで振り向いてはならない
お嫁入りの時 一条戻り橋を渡ってはいけない
およばれの時 出された料理全部は 食べてはいけない
この橋渡るべからず (一休)

五山の送り火

八月十四日から十六日まで 清水寺 夜の特別拝観 宵参り
昨日から十六日までは千日詣
一日のお参りで 観音様から千日分のご利益が授かります

今日十日 京の夏の風物詩 五条坂陶器祭り 最終日
珍皇寺の六道参りも今日まで
六波羅蜜寺の万灯会は八日から今日までと十六日


八月 京都最大のイベントは十六日の夜 
五山の送り火
盂蘭盆会の行事で 午後八時に大文字山の大の字に点火
そして妙法・船形・左大文字・鳥居形へと順に西に点火
されます

八月七日頃から十日頃までの間に お精霊さんを迎へ
五山の送り火の日は お精霊さんが帰らはるのです

夏の夜空を焦がす五山の送り火は 鴨川沿から綺麗に見へ
るので 鴨川上流沿は行く夏を惜しむ京都人で賑はひます

大原の里

東京に住んでいた頃 ゴールデンウィークの一週間
一人で奈良・京都を旅したことがあります
主目的は奈良の古寺巡りと大和路を徘徊することで
京都はどちらかと言へば ついで でした

京都の街中で大原女を見かけました
絣のもんぺ 頭に手拭い
それがきっかけで大原行きのバスに乗ったのです
行く先は三千院・寂光院 もう それが相場なんですね
三千院・寂光院の前知識など全くなしで


三千院
開基は伝教大師最澄 ご本尊は薬師瑠璃光如来
往生極楽院には阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊
金色不動堂には智証大師作と伝えられる不動明王


寂光院
その昔 聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔ふ建立した
後世 壇ノ浦で平家一族が滅亡 平清盛の娘・建礼門院
徳子がこの尼寺で余生を送った


東京へ転勤になる前は ずっと大阪に住んでいたので
奈良・京都なんて いつでも行けたのですが
保谷市に住むやうになって何故か無性に奈良へ行きたく
なったのです 奈良時代の歴史に はまっていた頃でした

単身赴任で幕張本郷に住み新習志野へ通っていた時にも
似たやうなことが・・  東京ディズニーランドまでは
電車で15分ほどで行けるのに しかもパスポートまで
貰ったのに一年半もの間 一度も行かずに関西へ戻って
から ディズニシー・ディズニーランドへ行きました

怨霊三霊

何年か前に乙訓寺を訪れたのは牡丹が最盛期の頃でした
?これは表現が逆です
牡丹が最盛期の頃だったので乙訓寺を訪れたのです

乙訓寺のこと
藤原種継暗殺のことも早良親王が当寺に幽閉されたこと
も弘法大師空海が当寺の別当に嵯峨天皇から任命された
ことも伝教大師最澄が当寺に空海を訪ねて来たことも
当寺は推古天皇勅願によって聖徳太子が建立したことも
そんなことは何一つ知りませんでした


乙訓寺の南 一キロ米余のところには菅原道真公を祭神と
する
長岡天満宮があります
乙訓寺の牡丹と同じ時期 長岡天満宮ではキリシマツツジ
を眺めながら八条ヶ池のほとりをそぞろ歩いてみては如何

すぐ東 徒歩なら約十分で阪急京都線の長岡天神駅
更に東へ十分ほど行くとJRの長岡京駅です 私が高槻市に
住んでいた頃は「神足」(こうたり) といふ駅名でした

早良親王・聖徳太子・菅原道真公
なんと ここだけでも怨霊は三霊も

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当ブログの参考資料

歌の復籍 上巻・下巻
著者 梅原猛
集英社
歌の復籍


水底の歌 上巻・下巻
著者 梅原猛
新潮社
水底の歌
文庫本が出ています↓
水底の歌(上)
水底の歌(下)


万葉集(一) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(一)


万葉集(二) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(二)


万葉集(三) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(三)


万葉集(四) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(四)


万葉集(別巻)全訳注原文付
万葉集事典 講談社文庫
著者: 中西進
万葉集(別巻)


文法全解 伊勢物語
著者 雨海博洋
旺文社
伊勢物語


古今和歌集要解
著者 稲村徳
有精堂
古今和歌集要解


新古今和歌集要解
著者 稲村徳
有精堂
新古今和歌集要解


もっとも分り易き 萬葉集の解釋
著者 柴田隆
日本出版社
定價金70錢?
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萬葉集選抄
著者 次田潤
明治書院
定價金壱圓拾錢
萬葉集選抄


大和物語・宇津保物語 他
著者 藤井貞和 大岡信
新潮社
大和物語


源氏物語(一)
石田穣二 清水好子 校注
新潮日本古典集成
新潮社版
(下の写真は背表紙)
古今和歌集要解

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くわしい解説 小倉百人一首
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プロフィール

ちゃむ

  • Author:ちゃむ
  • 1940.01 生まれ 男性
    この写真は但馬皇女の歌
    人言を繁み言痛み己が世に
      未だ渡らぬ朝川渡る

    をイメージしたものです

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