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馬のはなむけ

伊勢物語 (四十四段)

 むかし あがたへゆく人に馬のはなむけせむとて呼びて
 うとき人にしあらざりければ 家刀自さかづきささせて
 女のさうぞくかづけむとす
 あるじの男 歌よみて裳の腰に結ひつけさす


いでてゆく君がためにとぬぎつれば
  われさへもなくなりぬべきかな


 この歌はあるがなかにおもしろければ
 心とどめてよまず 腹にあぢはひて


あがたへゆく人 = 地方官 「県」あがた
馬のはなむけ = 餞別
家刀自 = 家の主婦
かづく = 衣服を相手の肩にかぶせて贈る
裳の腰 = 裳の腰紐 裳は女の正装用で腰から下につける
われさへもなく = 「喪なく」に掛けている
心とどめてよまず = 心とどめてよます か?

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名のみ立つ

伊勢物語 (四十三段)

 むかし賀陽の親王と申すみこおはしましけり その親王
 女を思し召して いとかしこう恵みつかうたまひけるを
 人なまめきてありけるを われのみと思ひけるを
 また人聞きつけて文やる  ほととぎすの形をかきて


ほととぎす汝が鳴く里のあまたあれば
  なほうとまれぬ思ふものから


 といへり この女 けしきをとりて


名のみたつしでの田おさは今朝ぞ鳴く
  いほりあまたとうとまれぬれば


 時は五月になむありける 男 返し


いほり多きしでの田をさはなほ頼む
  わがすむ里に声し絶えずは

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誰が通ひ路

伊勢物語 (四十二段)

 むかし 男 色好みと知る知る 女をあひいへりけり
 されどにくくはた あらざりけり
 しばしば行きけれど なほいとうしろめたく
 さりとて行かではた えあるまじかりけり なをはた
 えあらざりける仲なりければ二日三日ばかり
 さはることありて え行かでかくなむ


いでて来しあとだにいまだ変らじを
  たが通ひ路と今はなるらむ


 ものうたがはしさによめるなりけり

色好みの女 = 情事を好む女
あひいへりけり = 「あひ」は相 「いへり」は言ふ
はた = また
さはること = 障ること 物忌みなど


昔 男が色好みな女と知っていながら その女と語らひ
あった しかし色好みと知っていたものの一方では
憎くは思っていなかった 男はしばしば通ったが
やはり女の心がとても気がかりで嫌に思ふが
さうかといってくた行かずにはおれなかった
何といっても行かずにはおれなかった仲だったので
男は二 三日ほど差し支へることがあって行くことが
出来ずかう詠んでやった


あなたのところから帰って来たばかりの私の足跡さへ
そのまま変らず残っておりませうに
今頃そこいらは誰さんの通ひ路となっているでせうね


女の心が何となく疑はしく思はれるので詠んだのだった

激しい恋

万葉集 巻第十三 相聞 13-3272

打延而 思之小野者 不遠
其里人之 標結等 聞手師日従 立良久乃
田付毛不知 居久乃 於久鴨不知 親之
己之家尚乎 草枕 客宿之如久 思空
不安物乎 嗟空 過之不得物乎 天雲之
行莫々 蘆垣乃 思乱而 乱麻乃
麻笥乎無登 吾戀流 千重乃一重母 人不令知
本名也戀牟 氣之緒尓為而


うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ
その里人の 標結ふと 聞きてし日より 立てらくの
たづきも知らず 居らくの 奥処も知らず にきびにし
我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら
苦しきものを 嘆くそら 過ぐしえぬものを 天雲の
ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻の
をけをなみと 我が恋ふる 千重の一重も 人知れず
もとなや恋ひむ 息の緒にして


反し歌 13-3273


二つなき恋をしすれば常の帯を
  三重結ぶべく我が身はなりぬ


  長い間 思い続けて来た小野に程近いその里の男が
  しるしを結ぶと聞いた日から立ってもいても
  だうしたらよいか分からず坐っていても見通しが
  つかず馴れ親しんだ我が家すら草を枕の旅に寝る
  やうで物を思ふ身は苦しいのに嘆く身は日々を過ご
  し難いのに一層天雲の如くゆらゆらと芦垣の如く
  乱れて物を思ひ乱れた麻糸を入れる器もないとて
  この恋の千分の一も人に知られず覚束なく恋する
  のであらうか 恋を命として

  比べやうがない恋をすると いつもの帯を三重に
  結ぶほどに我が身は痩せてしまった
 (中西進訳)

君が行き(2)

万葉集 巻第二 相聞
磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)の
天皇を思ひて作りませる御歌四首
02-0085

君が行き日長くなりぬ山たづね
  迎へか行かむ待ちにか待たむ

02-0086
かくばかり恋ひつつあらずは高山の
  磐根し枕きて死なましものを

02-0087
ありつつも君をば待たむ打ちなびく
  我が黒髪に霜の置くまでに

02-0088
秋の田の穂の上に霧らふ朝霞
  いづへの方に我が恋やまむ


磐姫皇后思天皇御作歌四首

君之行氣長成奴山多都祢 迎加将行待尓可将待

如此許戀乍不有者高山之 磐根四巻手死奈麻死物呼

在管裳君乎者将待打靡 吾黒髪尓霜乃置萬代日

秋田之穂上尓霧相朝霞 何時邊乃方二我戀将息


私はこの少し後にある以下の歌の方が 激しくて好きです
2-0090

君が行き日長くなりぬ山たづの
  迎へを行かむ待つには待たじ

西行の羇旅歌

新古今集に題知らずとして 西行法師の歌があります

都にて月をあはれと思ひしは
  数にもあらぬすさびなりけり


「山家集」の詞書によって題詠とされていますが
まるで都外で詠っているやうに感じられるのは
やはり西行なればこそ でせうか


三夕の歌の一つ ここで 再度ご披露しませう

心なき身にもあはれは知られけり
  鴫たつ沢の秋の夕暮


西行法師 百人一首では86番です

嘆けとて月やは物を思はする
  かこち顔なるわが涙かな

秋立つ日の歌

古今集 よみ人しらず の歌二首

わが背子が衣の裾を吹きかへし
  うらめずらしき秋の初風

昨日こそ早苗とりしがいつのまに
  稲葉そよぎて秋風の吹く


この二首などは変に現代語に訳せずに
このまま観賞するに越したことはない


私が大事に手入れしている野菜畑の通路を挟んで隣は
田んぼです  その田んぼのおじいさんとは日頃から
仲良く話していますが 上の二首目を詠んで フトその
おじいさんことが頭を過ぎりました

その田んぼの稲穂もだいぶ頭を垂れつつあります
昨日 菜っ葉の種を蒔きました 今から水遣りです

妻恋ふ鹿

万葉集 巻第一
01-0084 秋去者今毛見如妻戀尓 鹿将鳴山曽高野原之宇倍

長皇子 志貴皇子と佐紀宮に倶に宴せる歌


秋さらば今も見るごと妻恋に
  鹿鳴かむ山そ高野原の上


     右の一首は長皇子


  秋になると 丁度ご覧のやうに 妻恋の鹿の鳴き声が
  響く山なんですよ この高野原の上は


長皇子は天武天皇の子供 志貴皇子は天智天皇の子供です
「佐紀宮に倶に宴せる」とあることから実景ではない
屏風に描いてある風景を見ながら室内で詠んだものだと
思ひます
杯を酌み交はしながら この人たちは すいすいと
このやうな歌を詠むことが出来たのですね
万葉集八十四首目のこの歌は巻第一の巻末にあたります


でもそんな立場の人がゴロゴロいた訳ではありません
庶民はこの人たちの所有物だったのですから
その中間にいたのは豪族でした
豪族は中間といふより もっと皇族に近かったでせうか
基本的人権 そんな言葉も存在しない時代だったのです

笹の葉は

新古今集に柿本朝臣人麻呂の歌が載っているとは
知りませんでした


笹の葉はみ山もそよに乱るなり
  われは妹思ふ別れ来ぬれば


天皇を賛美した歌を除けば
人麻呂の歌にはその人生の後半 悲しい歌が多い
万葉集にある柿本朝臣人麻呂の歌
私にとって その悲しい歌の代表とも言へるのが

2-0133

小竹の葉はみ山もさやに乱げども
  我は妹思ふ別れ来ぬれば


み山もさやに乱げども を
み山もそよに乱るなり に変へて詠ったのは定家だらうか
そよに乱るなり って一体だういふことでせう

定家のやうな大歌人をド素人の私ごときが評価するなんて
とんでもないことではございますが
私の好きな歌を変に変へられて それが新古今集に
載っているとは・・ もう言葉もありません

秋の歌

このブログは「古歌」をテーマにスタートしたのですが
京都検定なるものに ちょっと魅せられて首を突っ込み
ましたら「講習会 楽しいんやったら 試験も受けたら?」
などと言はれて半分その気になり 「古歌あれこれ」が
ずるずると 「京あれこれ」に集中してしまひました

正直申しまして少し疲れました
先日 問題集をやって自己採点してみましたら 60点
世の中は秋 今日は久しぶりに古歌に浸りませう

古今集 藤原敏行 秋たつ日よめる


秋来ぬと目にはさやかに見えねども
  風の音にぞおどろかれぬる


立秋の日 秋の訪れを風によって知った喜びの歌です
説明無用の歌のひとつですね


新古今集にも この歌を本歌とした 藤原秀能の歌があります
吹く風の色こそ見えね高砂の
  尾の上の松に秋は来にけり

未出題寺院(2)

毘沙門堂
正しくは出雲寺  本尊は毘沙門天
天台宗五箇室門跡の一つ  紅葉と桜の名所


愛宕念仏寺 (おたぎねんぶつじ)
本尊は千手観音
境内には千二百体の石造の羅漢さんが並ぶ


上品蓮台寺
院号は九品三昧院  十二坊の名でも呼ばれる
本尊は延命地蔵菩薩
仏師 定朝のお墓があるほか阿刀氏(空海の母)の塔と伝へ
られる五輪塔もある  国宝 絵因果経 も


千本閻魔堂
正しくは引接寺 (いんじょうじ)  本尊は閻魔王
小野篁が閻魔庁に仕へたという伝説
京の三大念佛狂言の一つ「千本閻魔堂 大念佛狂言」


雨宝院
西陣聖天とも呼ばれています  本尊は歓喜天
嵯峨天皇が病気の時 空海が等身大の歓喜天を彫って
祈祷したところ病気が平癒 その功績により空海は天皇の
別荘 時雨亭を賜り雨宝堂(大聖歓喜寺)としたことに由来


千本釈迦堂
正しくは大報恩寺  本尊は釈迦如来
本堂は京都市街地 現存最古の木造建築にて国宝

未出題寺院

京都・観光文化検定試験 公式テキストブックの中で
第一回・第二回京都検定試験に未出題寺院が九十六ケ所
残っています それは


真如堂
正しくは真正極楽寺 本尊は阿弥陀如来 紅葉の名所
応仁の乱で焼失 足利義政の寄進により現在地に再建
ここの本堂は京都市内の天台宗本堂として最大規模


赤山禅院
延暦寺の別院 本尊は天台守護
ここは京の表鬼門に当り方除けの神としての信仰も篤い
都七福神まいりの一つ(福禄寿)


補陀洛寺
通称は小町寺  本尊は阿弥陀如来
小野小町の墓所と伝へられ小町ゆかりのものが多く残り
深草少将の供養塔などもある


革堂
正しくは行願寺 本尊は千手観音 洛陽七観音の一つ
行円が猟師の時 射止めた牝鹿の腹の中に生きた子鹿を
見て後悔し その皮を衣にして鹿を憐れみ念仏を唱へた
行円が皮の衣を着たので皮聖と呼ばれたことが革堂の由来
西国三十三ヶ所観音霊場の第十九番札所 唯一の尼寺札所
都七福神まいりの一つ(寿老神)


今日はここまで まだまだありますよ

庭師三百年

では三百年に一度現れて世に名を残した庭師を今一度
ご紹介致します


夢窓疎石 (むそうそせき) 1275 - 1351

 伊勢出身の禅僧  西芳寺 (苔寺) の庭園を設計
 後醍醐天皇の要望で南禅寺の住職になり夢窓国師の号を
 受けています そして後醍醐天皇が失脚の後は足利尊氏
 の帰依を受けました


小堀遠州 (こぼりえんしゅう) 1579 - 1647

 近江小室藩主  茶人 建築家 造園家としても有名
 桂離宮 二条城などの建築・造園に寄与 大徳寺孤篷庵
 南禅寺金地院などは代表的な庭園です


小川治兵衛 (おがわじへい) 1860 - 1933

 近代日本庭園の先駆者とされる庭師
 通称は植治 (植木屋治兵衛)
 京は神足村の生まれです 現在の長岡京市
 平安神宮庭園や円山公園など多くの国指定名勝がある


次に庭師が現れて活躍するのは 西暦2200年頃です
私は260歳くらい

御の付く寺

昨日の京都検定講座では「御の付く寺」と「庭師三百年」
が印象的でした
講師が京都で
「御の付く寺」って分かりますか? と
受講者に問ひかけた時 私は二つはすぐに分かりました
三つ目は御流 (嵯峨御流) だったのです


御室 (おむろ) 仁和寺
  真言宗御室派の総本山  本尊は阿弥陀三尊
  宇多天皇が創建
  宇多上皇が出家して御室を建てたのが地名の由来
  御室(おむろ)とは僧房のことです

御寺 (みてら) 泉涌寺
  真言宗泉涌寺派の総本山
  本尊は釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三尊
  皇室との関りが深く御寺(みてら)と呼ばれています

御流 (ごりゅう) 大覚寺
  真言宗大覚寺派の大本山  本尊は五大明王
  この寺は華道の嵯峨御流の総司所でもあります


庭師三百年 名を残す庭師は三百年に一度現れます

夢窓疎石 (むそうそせき)   1275 - 1351
小堀遠州 (こぼりえんしゅう) 1579 - 1647
小川治兵衛 (おがわじへい)  1860 - 1933

なんと見事に三百年づつ離れていますね

京の建築

神社・寺院
京都府下の重要文化財の建造物は545棟で日本一
うち国宝は60棟で全国第二位 一位は奈良県の70棟
その大半は京都市内とその周辺の神社・寺院です


宮殿・邸宅
宮廷や公家屋敷・武家屋敷など支配者層の住宅を指す
京の建築として庶民の住まいである町屋(民家)とは区別
して考へられます

戦災・火事などのため古代遺構はないが寺院塔頭の客殿
には畳を敷き詰めた書院造の代表例や古代寝殿造の面影
を留める建物も存在します


茶室・数寄屋
茶室は茶会(茶の湯)を行ふために特別に設けた建物で
露地と呼ぶ茶室への導入のための庭園を伴ひます

茶室の持つ自由闊達な建築手法を取り入れた座敷や建物を
江戸時代には数寄屋と呼びました
修学院離宮や桂離宮がその代表例で 数寄屋 即ち茶室風
建物です


町屋
通りに面し隣家と接して立ち並んでいるのが町屋の特徴で
京都には平安時代から庶民の家屋として存在しました
内部には「通り庭」と呼ぶ土間が表から裏庭へ続き
台所もその土間に設けられています

鰻の寝床の代名詞を持つ町家の中には 風通しと採光を兼
ねて設けられた坪庭と呼ばれる庭があるのも特徴の一つ
と言へるでせう

中秋の名月

大覚寺
淳和天皇の皇后が 父・嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院を
寺に改め 清和天皇から大覚寺の寺号を賜った
この寺は華道・嵯峨御流の総司所でもあります

観月の夕べ 大沢池一帯 今年は十月五日~七日
大沢池に龍頭鷁首を付けた屋形船を浮かべ茶席を設ける

大沢池に龍頭船と鷁首船の屋形船三隻が浮かび湖畔には
筝や尺八の調べ お茶を喫し水面の月を観て古の宮廷人の
気分を味はふのもまた乙なものです

夜間特別拝観料 大人五百円
船席券 千弐百円  立礼席/本席券 六百円

大沢池は広沢池や猿沢池に並ぶ日本三大名月鑑賞池の一つ
大沢池は石山寺や猿沢池に並ぶ日本三大名月鑑賞地の一つ
  「鑑賞池」と「鑑賞地」の違ひ


下鴨神社
名月管弦祭 今年は十月六日
仲秋の名月の宵 糺の森は御手洗川の橋殿を舞台に
管絃が奏でられる王朝絵巻   茶席は千円

中秋の名月のこの時期には京都ではこの外にもあちこちの
寺院で観月や茶会が催されます

平野神社「名月祭」    今年は十月六日
上賀茂神社「賀茂観月祭」 今年は十月六日

京の七不思議(2)

2006/07/10 知恩院の七不思議 をご紹介しました
今日は
永観堂の七不思議 をご紹介しませう
永観堂 正しくは 無量寿院 禅林寺
「永観 遅し」の「みかえり阿弥陀」で有名です

七不思議


一 抜け雀
  古方丈の欄間に描かれた雀の絵が向かって右側の欄間
  のみ一羽少なく抜け出していったと伝へらる
  十羽いた筈なのに九羽しかいない


二 悲田梅 (ひでんばい)
  永観律師が衆生を救ふために植えられた梅
  梅林と言へる程沢山あったが現在は一本だけ


三 臥龍廊
  開山堂へ続く階段廊下は 龍の背中がうねっている
  やうに大きく湾曲して龍がやうに見へます

続きを読む▽

隨心院

隨心院は何と言っても世界三大美人の一人にも数へられ
ている小野小町にゆかり深い寺で 小野門跡とも言ひます
地下鉄東西線 小野駅から徒歩5分

三月は境内の特設舞台で
「はねず踊り」
深草少将の百夜通ひの悲話伝説をテーマにした今様を
菅笠に梅の造花を挿した少女たちが舞ひます

梅花の薄紅を「はねず色」と呼びます
とりわけ山科小野の隨心院の紅梅は古くから
「隨心院のはねず」の名で親しまれています


十一月は 第二回 随心院 ミス小町コンテスト
審査基準テーマは「美心(びじん)」
現代の小野小町を募集  八月末に締切られました

九月下旬 第一次審査結果
十月上旬 第二次審査
  隨心院玄関に一次審査通過者の写真公開
  参拝者による投票受付
十一月十二日 第二回隨心院ミス小町コンテスト選考会

第一回 隨心院ミス小野小町でミス小野小町・準ミス小野
小町に選ばれたお二人が写真付きで隨心院のホームページ
に紹介されています

京の町の名

八月二十六日の土曜日から又 新たな京都検定関連講座の
「京都観光文化講座」が始まりました
会場はJR山科駅からでも地下鉄東西線「山科駅」からでも
五分くらいのところです

講座二日目の九月二日は御池のスポーツ用品店で買物を
したかったので少し早く家を出ました
地下鉄烏丸御池で降りて地上へ出ましたら方角が分から
なくなり 通りがかりの人に河原町通の方角を尋ねました

その人が「河原町のどこへ行きたいのか」聞かれたので
ここからすぐ近くのスポーツ用品店だと言ひますと
「ミツハシなら あそこですよ」と指差したのはすぐそば
私が考へていた方角は九十度違っていました
それと私は店の名前を忘れていましたが相手の方は知って
いたのです


買物を済ませた後 講座会場の山科へは ここからなら
地下鉄一本で行けます
地下鉄に乗ると山科駅までの地下鉄地図にざっと目を通し

御陵駅の次だな と頭に入れました
ここで私は御陵を「ごりょう」と読んでいたのです

文庫本を読んでいたので「次は みささぎ」の放送にも
無関心でしたが御陵駅に着いて「御陵」の文字とアナウ
ンスで初めて「御陵」=「みささぎ」に気づきました

ちなみに 桂御陵坂は「かつらごりょうざか」

この寺は(3)

この寺は何が有名?

乙訓寺 弘法大師空海と伝教大師最澄が最初に会った寺
   桓武天皇の実弟である早良親王が藤原種継暗殺の
   首謀者として幽閉された寺
   牡丹の花でも有名


海宝寺 万福寺の十三世竺庵浄印が別院として興した寺
   百貨店「大丸」の創始者が竺庵浄印を信奉して
   海宝寺を援助 その関係は現在も受け継がれている
   方丈襖絵「群鶏図」(京都博物館 所有)は
   伊藤若冲晩年の作  普茶料理の寺でも知られる


    百貨店「大丸」といへば私事になりますが
    ○代目社長のご子息と二人で昭和三十四年から
    二年 某社独身寮の同室生活を送りました
    庶民とはどこか違ふムードの持ち主で 私への二
    人だけの送別会で当時としては庶民には手の届か
    ない鶏の丸焼きをご馳走して下さったこと 今で
    も忘れることが出来ません

    当時 寮生の食事はまだ麦飯でした
    鯨の龍田揚げがおかずに出る日は嬉しくて・・・
    海宝寺の話の中で「大丸」「群鶏図」が出てきた
    ものですからフト昔世話になった方と鶏の丸焼き
    を思ひ出してしまひました

この神社は(3)

この神社は何が有名?

護国神社 正しくは京都霊山護国神社
   明治元年わが国初の官祭招魂社として創立
   坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允らの墓がある


熊野神社 京都三熊野社の一つ
   他の二つは 熊野若王子神社 新熊野神社


車折神社 境内に芸能神社がある
   古来芸道上達を祈願する人の崇敬を受けており
   朱の玉垣には多くの有名人の名が並んでいます
   くるまざき と読みます


建勲神社 正しくは「たけいさお」と読みます
   織田信長を祀ってあります


交通神社 (須賀神社・交通神社)
   昭和三十九に交通安全の神として交通神社が分祀
   された 五月第二日曜の角豆(ささげ)祭が有名


護王神社 和気清麻呂・和気広虫を祀ってある
   和気広虫は「子育て明神」とも呼ばれる
   境内に霊猪像があり「いのしし神社」とも呼ばれる


御香宮神社 (ごこうのみや) ←清泉が湧いたことから
   本殿は徳川家康の再建で五間社流造

曼殊院

伝教大師最澄が比叡山に一堂を建立したことに始まる
良尚法親王により現在地に移転
「竹内門跡」とも言はれ慈運(伏見宮貞常親王の子)が
入寺して以降 門跡寺院となった
天台宗五箇室門跡の一つ

「門跡寺院」とは皇室一門の方々が住職であったことを
意味します

良尚法親王によって作られた茶室が
「八窓席」
三畳台目(さんじょうだいめ)の茶席
古田織部や小堀遠州好みと貴族趣味を取り入れたもので
多数の窓による光の演出が素晴らしい

窓が八つあったため八窓席と呼ばれており
京都三名席の一つとして有名です 他の二つは
  大徳寺の塔頭 孤蓬庵 忘筌
  南禅寺の塔頭 金地院 八窓席


良尚法親王の父は「桂離宮」を作った八条宮智仁親王である

書院の前の枯山水庭園にある「鶴島の松」は樹齢400年と
言はれ 根元に「曼殊院型石燈籠」が置かれている
書院・庭園ともに国の名勝に指定されている

小書院の縁先に置かれている手水鉢は「梟の手水鉢」と
呼ばれて有名
「黄不動」の通称で知られる不動明王像は国宝です

吉田神社

吉田神社は八五九年 中納言 藤原山蔭が奈良の春日神を
吉田山に勧請し氏神として祀ったことに由来
平安京における藤原氏の氏神として崇敬を受けた

現在の大元宮は母屋の平面が八角形といふ珍しい形を持つ

二月二日~四日の節分祭には疫神祭・追儺式・火炉祭が
執り行はれ特に追儺式は
「鬼やらい」として有名です

  大阪府茨木市にある 亀に乗った観音様として
  有名な総持寺も藤原山蔭が開いた寺


吉田神社の西方一帯は京都大学 この辺りを通り抜けると
そこは出町柳 京阪電車と叡山電鉄の終点であり
賀茂川と高野川が合流する地点 河合橋 出町橋
賀茂大橋あり 春は堤防の桜がきれいです

賀茂大橋を渡るとその西は同志社村? 今出川村?

京言葉(3)

しるい 【ぬかるんでいる】
   「昨日の雨で畑まだしるいわ」
   私の里では「じゅるい」と言ってました


せんぐり 【次から次へ】
   「せんぐり取ってやらなんだら ひどいわ」
   畑の雑草取りから戻って来た隣のおじいさん曰く


だんない 【かまわない 差し支えない かめへん】
   【いいよ 大丈夫 OK】
   「だんない」の使用シチュエーションは多い


ながたん 【包丁】
   「このながたん よぉ切れるなぁ」


にぬき 【ゆで玉子】

ねき 【根元 傍ら そば】
   「犬は色んなもんの ねき に おしっこするねん」


ねぶる(舐る) 【なめる】
   飴をねぶる とは言ふが 喧嘩言葉には使用しない
   「ねぶったら あかんでぇ」とは言はないのです


よさり 【夜】
   よさり 子供が 外 一人で歩いたらアカン

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当ブログの参考資料

歌の復籍 上巻・下巻
著者 梅原猛
集英社
歌の復籍


水底の歌 上巻・下巻
著者 梅原猛
新潮社
水底の歌
文庫本が出ています↓
水底の歌(上)
水底の歌(下)


万葉集(一) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(一)


万葉集(二) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(二)


万葉集(三) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(三)


万葉集(四) 全訳注原文付
講談社文庫 著者: 中西進
万葉集(四)


万葉集(別巻)全訳注原文付
万葉集事典 講談社文庫
著者: 中西進
万葉集(別巻)


文法全解 伊勢物語
著者 雨海博洋
旺文社
伊勢物語


古今和歌集要解
著者 稲村徳
有精堂
古今和歌集要解


新古今和歌集要解
著者 稲村徳
有精堂
新古今和歌集要解


もっとも分り易き 萬葉集の解釋
著者 柴田隆
日本出版社
定價金70錢?
もっとも分り易き 萬葉集の解釋


萬葉集選抄
著者 次田潤
明治書院
定價金壱圓拾錢
萬葉集選抄


大和物語・宇津保物語 他
著者 藤井貞和 大岡信
新潮社
大和物語


源氏物語(一)
石田穣二 清水好子 校注
新潮日本古典集成
新潮社版
(下の写真は背表紙)
古今和歌集要解

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当ブログの参考資料

京都ルルブ
2001年3月版
JTB
京都ルルブ


くわしい解説 小倉百人一首
著者 小町谷照彦
文英堂
小町谷照彦の小倉百人一首


田辺聖子の小倉百人一首
著者 田辺聖子
角川文庫
田辺聖子の小倉百人一首
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田辺聖子の小倉百人一首


絢爛たる暗号
著者 織田正吉
集英社
絢爛たる暗号
文庫本が出ています↓
絢爛たる暗号


小倉百人一首全釈
著者 井上雄一郎
武蔵野書院
井上雄一郎の小倉百人一首


百人一首故事物語
著者 池田弥三郎
河出書房新社
百人一首故事物語
文庫本が出ています↓
百人一首故事物語


上田秋成集
著者 稲村徳
有精堂
上田秋成集


『万葉集』の世界
著者 阿蘇瑞枝・梅原猛・中西進
筑摩書房
『万葉集』の世界


万葉を考える
著者 梅原猛ほか
新潮社
万葉を考える


大和物語・伊勢物語 他
日本古典文学全集
著者 片桐洋一・福井貞助
・高橋正治・清水好子
小学館
(下の写真は背表紙)
日本古典文学全集

プロフィール

ちゃむ

  • Author:ちゃむ
  • 1940.01 生まれ 男性
    この写真は但馬皇女の歌
    人言を繁み言痛み己が世に
      未だ渡らぬ朝川渡る

    をイメージしたものです

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